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幸子27回忌 (3)

 

 幸子さん第27回忌法要後記 3/3

2016年7月23日 

 

当初カラオケ会は予定されておらず、食事会が終われば解散することになっていました。わずか数日前に、私がそれを知って、それだけでさようならはないだろうと強く主張して急遽カラオケ会が決まったのです。それだけに私としては何が何でもカラオケ会を何事なく楽しんでいただきたかったのです。皆様のご協力のお蔭で無事に終わったことを心から感謝しております。

 

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 カラオケ会が無事に終わったということで、私の肩の荷はかなり軽くなりました。さて次はお墓参りです。とはいっても、これも予定に組み込まれた行事ではありません。お母さんは幸子さんがいつも遺影碑のところにいるんだと思い込んでおり、お墓参りのことは軽視する傾向があります。

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 写真には写っていませんが、私はお線香に火をつけたり、皆さんに虫よけスプレーをかけたり、お花を供えたりしています。余談ですが、お墓でお線香に火をつけるのは意外に大変です。またこんな藪の中ですから、蚊が雲のように集まってきます。その対策は絶対に必要です。

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 お線香に火をつけました。お花も供えました。お花はMARIが用意して東京から持ってきました。すでに色々とお飲み物が備えているを見ると、私たちの前にお参りに来られた方いることがわかります。私たちもそれぞれお線香をあげて手を合わせます。

安らかに幸子さん・・・・・・。

これで公式的な(?)行事はすべてこなしたことになります。

さて、これから計画されているのは第3回目の東幸会です。実は、風さんが消防職員協議会の方のコネを借りて瀬波に宿の予約を済ましてくれています。飲食店の予約も済んでいます。そのままホテルのチェックインをしてから、飲みに行けばいいことになっています。

でもせっかくこうやって集まっているわけですから、この機会を生かさない手はありません。それで県外から来た方を中心に宿の状況を聞きました。

たかやんさんは何と今日が、つまり幸子さんのご命日が奥さんのお誕生日だそうです。それで岩室に宿を取っているということ。Seijiさんは新潟市内に取ってあると、列車時刻を確認したら、19:30で最終便ということで残念ながら、お別れ。石川さんご夫妻は瀬波なので、OK、まさまささんも瀬波だから、大丈夫、イサムさんは村上市内なので、それくらいはタクシーで帰ればOK、ということで、先にチェックインを済まして予約の飲食店に集まることにして一旦解散となりました。

しかし、途中で問題が発生、当初は東幸会の5人と新潟の風さんの同僚の方2人の7人で飲食店の予約をしていましたが、増えている4人分の受付が出来ないということです。仕方なく、別の場所を探すことになり、時間がかかりました。結果的には事なきを得ましたが、そのため石川さんご夫妻を少々待たせてしまいました。

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瀬波はまなす荘です。ここで一日お世話になります。ここは新潟県市町村共済組合の提携先です。私たちは新潟県消防職員協議会の方のコネで激安で泊まらせていただくことになりました。設備も景色もサービスも申し分ないとても良い所でした。

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 石川さんが待っているので、チェックインを済まして約束場所に急ぎます。その途中で見たのがこの夕陽です。幸子さんがとてもきれいだと生前に言っていた瀬波の夕陽です。その夕陽を眺めているシルエットの女性はMARIです。ゆーきちさんが撮影しました。

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ここが変更された場所です、酒処千歳。

場所が変わったということを伝えるべく、イサムさんとまさまささんへの連絡を試みましたが、なかなかうまく行かず苦労しました。でも何とか全員が無事に集まることが出来ました。

 

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余談になりますが、これが私たちの飲んでいた居酒屋の真ん前にあった「汐見荘」です。幸子さんが生前に何度もディナーショーや忘年会、親睦会でお世話になった所です。また幸子さん亡き後には何度にもわたってここで偲ぶ会が開かれました。是非一度は見ておきたいゆかりの場所です。

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 皆さん、楽しく飲んでいます。奥では相模美さんが石川さんご夫妻としゃべっています。しばらくしてから、石川さんの奥さんがお酒で沈没です。おそらく疲れと緊張が原因だったのでしょう。

 

 

 

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私がまさまささんの話しを傾聴しています。向こうは向こうで盛り上がっています。一番奥の方に座っているお二人が例の消防職員協議会の方です。今回はとてもお世話になりました。間もなくしてMARIも沈没しました。

イサムさんの声の素晴らしさと歌の上手さが話題になりました。したら、イサムさんがスマートフォンで何かを見せてくれました。今日は来ていない四幸会の八十八さんが95点以上を狙っている幸子さんの歌のリストだそうです。我が東幸会にとどめを刺した瞬間でした。

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第4次会はスナックです。石川さんは奥さんが一人になっているので、先に帰りました。消防職員協議会のお二人も帰りました。ということでゆーきちさん、相模美さん、風さん、イサムさん、まさまささん、私の6人となりました。

先の居酒屋から近い「スナック杏」です。

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ゆーきちさんを始め、皆さん歌いまくっています。楽しくて仕方がないのです。

ゆーきちさんも相模美さんも、まさまささんも本当に歌が上手いのです。聴き惚れます。どんな歌でも上手に歌い上げます。

しかし……。

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この方の前にいると、ただの前座歌手です。いかなるテクニックも通用しません。その声だけですべてを制してしまうのです。どうにもなりません。

IMG 0379 相模美さんが熱唱しています。森昌子のようです。
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我が東幸会の会長風さんが少しでも名誉挽回をすべく必死に力を絞って例の「それなりに青い鳥」を歌っています。涙ぐましい熱唱です。

しかし……、

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こうやって簡単に蹴散らされます。見てください、あの顔。まるで教訓を与えているようです。歌というのはこう歌うんだよと。戦艦ヤマト、いやヤマモトに我が東幸会はなすすべなく撃沈です。

 

さて11時が回り、そろそろお開きです。とてもとても楽しかったです。いつまでもこうしている訳にも行かないことです。別れを惜しみながら、解散です。

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翌日の朝、再び幸子さんの所に戻ってきました。幸子さんはいつもこうやってほのかな微笑みを浮かべて私達を迎えてくれます。おはよう、さっちゃん。

昨日にはなかった花束とお飲物が置いてあります。その間誰かがお参りに来たのでしょうか。密かに来てお参りしてからこっそり帰る方も少なくありません。

IMG 0383 これはイサムサンの車です。幸子さんのサインが貼ってあります。たかやんさんの比ではありませんが、幸子さんへの愛情が覗けて感動的です。しかし問題は・・・、
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 肝心なお母さんがいないのです。私達との約束をすっぽかして藤井さんの仕事をするために新潟に出かけてしまったのです。是非お母さんと一緒に写真を一枚撮りたいと言った相模美さんの望みもかないませんでした。イサムさんもがっかりです。

最後の記念写真を幸子さんと一緒に撮りました。この写真を撮ってから10分後に岩室に泊まったたかやんさんがわざわざお母さんを一目見ようと遥々走ってきたのです。その時に私達はいなくなっていました。

その後の話し:

私とMARIは伊藤さん宅で待機している大阪後援会長の井戸清一さんに会うために先を急ぎました。大阪後援会が持っている幸子さんの資料も膨大なので、どうしても手に入れたいものです。スタートしてからすぐにたかやんさんから電話がかかってきました。ビックリしました。岩室温泉から幸子さんの所までは相当な距離です。しかも逆方向です。そのまま徳島に向かっても大変だというのに、そこまでしてお母さんに逢いに走ってきたのです。しかもたかやんさんもお母さんと約束をしたそうです。

別に急ぎでもない藤井さんの仕事をそこまで優先させる必要がどこにあるのか、まして今日は昨日来られなかった別のファンの方がお参りに来る可能性が大です。先ほどのお花の方もそうだったのかも知れません。よくもそれで私に藤井さんへの協力をあれこれ頼んでくるものです。先ほどまでは仕方ないなと思っていたのが、たかやんさんの電話で怒りが込みあがりました。しかし、今更どうしようもないのです。とにかく私と会うためにまだ大阪に帰らないで待っている井戸さんの所に急がなければなりません。たかやんさんとは伊藤さん宅で合流することにしました。伊藤さん宅で皆がしばらくの楽しい時間を過ごし、私が大阪を訪問するという約束を取り付けて、皆さんとお別れとなりました。私とMARIはその後も残って吉原さんと伊藤さんと夕方までカラオケで歌を歌ったり食事をしたりして過ごしました。伊藤さんは別れたくなくて中々私達を離してくれません。吉原さんもです。

でももう帰らなければなりません。土曜日の深夜3時に出てもう丸一日と半分です。いつもながら新潟行きの日程はきついです。それでも幸子さん思い一つでそれなりにお金と時間と体力を使って向かうわけです。私よりも遥かに遠い所からの方はもっと大変な思いをしていることでしょう。

帰り道に、お母さんに電話をしてひどく怒りました、一体私達のことを何だと思っているのですかと。言いたいことは全部言いました。お母さんに怒ったのは初めてです。お母さんはただただ謝るばかりでした。皆さんにもよろしくお伝えくださいとのことでした。もう過ぎたことだし、それ以上は責めませんでした。しかし、藤井さんのせいで幸子さんのことが少しでも疎かになるのは許せないことで、今後藤井さんへの協力は一切お断りすると断言しました。

これで後記を終わります。私なりに後記を思い出せる範囲で書いてみました。思い出せないことや見落としたこともたくさんあると思います。それぞれ皆さんの記憶と組合わせて読んでいただければ幸いです。23回忌までは昔の後援会の方が中心でした。こうやってネットで集まった方がたくさん参列したのは今回が初めてです。その意義はとても大きいのだと思います。最後に少し寂しい思いをしましたが、イサムさんも、ゆーきちさんも、相模美さんも、たかやんさんも、もうお母さんを許してあげてくださいね。誰が何と言っても幸子さんのお母さんですもの。