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第29回忌の集い

                                                    

 

  平成30年7月21日 

 

集合と宴会の映像

第29回忌の集い

                                                    

 

  平成30年7月22日 

 

お墓参りとビデオ上映の映像

 

それなりに青い鳥ロケ地第2次探検 1/2

2016年7月16日 

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幸子の「それなりに青い鳥」のロケ地を見つけよう、というプロジェクトが立てられた。

探すべきポイントは次の五つ

1.跳び下りるつもり(?)で登った崖

2.別れたやつの手紙を読んでいる岩場

3.恋に破れた女のトンネル

4.これから女独りの旅館

5.夕陽の岬

 

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その場所、どうやら千葉県の勝浦市にあるらしい。

早速、探検隊が結成され、7月9日に第1次探査が行われた。

しかし、大雨に阻まれたうえに、情報も不足し発見されたのは2か所のみ、そのうちの一か所である旅館は、部屋の中を撮影することができず、外のみの撮影となった。

 地元の漁師たちに教えてもらったところをびしょ濡れになって長時間探したが、結局岩場と崖の発見は失敗。

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taito

 その後、風さんの再度の分析により、幸子が手紙を読んでいるシーンで岩の先に壊れた防波堤があることを発見、更に波の高さから見て、どうやら勝浦ではなく、太東、大原、岩船地区のどこかではないかという所見が出された。 

それを待っていたかのように、四国在住であるだろうと推定される有志のお一人が何とgoogleでその岩場、もしくは崖の場所を特定できたと探検隊に知らせてきた。その有志の方はもし外れた時のための保険として一応匿名を希望しているらしい。我々は、ここでは本命が判るまで仮の名前で八十九さんと呼ぶことにした。

ilovepdf com

 

あまりにもすごいことで、探検隊は騒然となった。

地元の人間を押しのけて、遥々四国に住んでいる(と思われる)方に教えてもらったのだから、無理もないことである。とにかくその真偽を確かめるべく早速第2次探索を7月16日に決行ことにした。

しかし、それだけでは終わらなかった。

15日の夜に、今度はトンネルの場所まで特定して、写真と地図を送ってきた。

地図を見た瞬間ASKAは倒れそうになった。何と、何度も通った、あまりにもよく知っているトンネルではないのか。いったい何で今まで気が付かなかったのだろうか。

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7月14日探検隊出発

何もかも食ってからの戦だというモットーに基づいてまずは食事から。

焼き魚定食がとてもおいしかった

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まずはトンネルから探索することにした。

左はトンネルに向かう道、もうこの段階で景色が尋常ではない。

IMG 0234 ここがトンネルの進入口である
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 トンネルが見えた。八十九さんが発見したそのトンネルである。

正しくそれなりに青い鳥のロケの際に幸子が立っていた所である。

 

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IMG 0244 トンネルを抜けての道。この道を何度通ったことか。
IMG 0246 下から見上げたトンネルの景色、先ほどの反対側である。
IMG 0245 もっと下るとこんな景色となる。とにかく綺麗だ。
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 こんなところも歩いて探検した。

でも波が高くて非常に危ない。

 

以上でトンネルの探査は終わり。次はまた八十九さんが教えてくれた場所に向かう。

 

それなりに青い鳥ロケ地第2次探検 2/2

2016年7月16日 

トンネルの発見により、探検隊の士気は絶好調だった。この調子であれば、次の場所の発見も容易いはずだ。

実は昨夜、MARIのファンNo.001号を自称する方からメールを一通いただいた。

「もし大当たりであったらご褒美をおねだりしませんか?Mariさん、彼女に幸子さんと同じ場所、同じポーズで”あの人”からの手紙を読む悲しい女になって戴いて、そのスナップを頂戴するというのはどうでしょう?賛成なら交渉してみて下さいよ。いい記念になるかもよ」

どうやらかの八十九さんからの依頼を代理して送ってきたのではという気もするが、確証はない。

いずれにしろ、発見してから考えることだ。

 

 

 

 

 IMG 0262  これから八十九さんの特定場所の探検に差しかかるところである。まずは高台から下を見下ろしながら、偵察をするつもりで灯台に向かった
 IMG 0263  太東灯台のある公園から見下ろした景色
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上から見てもよくわからない。直接行ってみることにした。                                                                               

歩いて行くには遠いので、車で移動。

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 あれ?行き止まりだと?

もう少し進んでみたが、広い民家があり、もうそれ以上は無理。

他に道も見当たらなかった。

道を間違えたのかな?

車を引き返してもう一度調べることにした。

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 元の場所に戻って再度調べたが、先のところで間違いないという結論。

もう一度近くまで行って、適当なところに車を停めて、徒歩で進んだ。

右側にはカンナの花がきれいに咲いている。

山頂には先ほどの灯台が見える。

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先ほどの広い民家まで近づいて調べてみたら、右側に獣の道のようなのがあるにはあった。いきなり不吉な予感が頭をよぎった。

幸子さんたちがこんなところでロケ撮影を?う~ん有り得ないな。

しかしここで引き返す訳にも行かないこと。行けるところまで行ってみるしかない。

 

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大体こんな感じの道だ。麦と兵隊の「徐州徐州と人馬は進む、徐州いよいか住よいか、(中略)友を背にして道なき道を行けば戦野は夜の雨(後略)」の歌詞を彷彿させてくれる凄まじい道だ。

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呆れ返った顔で笑っている風さん、本当は泣きたい気分であろう。

IMG 0295 延々と続くジャングルのような道
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ようやくそのジャングルの道が終わると、・・・・・・

今度は断崖絶壁に近い急勾配の斜面。

階段はなく、所々崩れ落ちている。前日の大雨により道は濡れているし、泥濘もある。足元は最悪の状態。

 

IMG 0286 下から見るとこんな感じ。怖~い。
IMG 0278 それでも命かけで勾配を下る勇敢な我が探検隊。
IMG 0289 悪戦苦闘の末に何とか海岸に降り立った探検隊
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さて、肝心な岩場は?そして崖は?

八十九さんの特定の崖もしくは岩場はこんな感じ。

雰囲気は似ているが、海岸に向かって右側には回れないし、決め手となる壊れた防波堤も見えない。崖の形も異なる。

 

下に降りて見るとこんな感じ IMG 0282
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 反対側はこんな景色

皆がここがその岩場だと言える根拠を必死に探したが、どうにもならず。

30年という年月で風化されて、ここまでわからなく変わったのではという見解も出たが、有り得ないと一蹴。

大体高が30年間でそこまで変わることもないだろうし、ましてかの防波堤までもが消えるなんて絶対にあり得ないし。そんなことで説明がつくのであれば、房総半島どこに行っても同じことが言えるだろう。

 

結論は失敗。

帰り道の苦労はおまけ

 

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IMG 0294 失敗ということで探検隊の顔は暗く、足は重い。
 太東漁港の方が雰囲気は似ている、ということで一応訪ねてみた。とりあえず雰囲気くらい見ておこうというのもあって、たったの1%でも可能性があればという望みをかけて・・・・・・。  IMG 0297
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 こんな感じのところである。

中々良いところである。

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太東海水浴場の海の家で生ビールを飲みながら疲れを癒した。

暑さの中かなり長い距離を歩いたし、車での移動も長かった。

今回はとりあえずあの隧道を見つけただけで満足することにした。

 

幸子さん27回忌法要後記 1/3

2016年7月23日 

 

まだまだファン歴が3年程度の私が出しゃばるのも変ですが、力のある限り、幸子さんの記録を少しでも多く残そうと頑張っています。幸子さんのこともさることながら、こうやってファンたちが集まって幸子さんを偲ぶのも貴重な記録の一部ではないでしょうか。そういう活動もまた特集として残していきたいと思っています。

今日は幸子さんの27回忌の日です。約40人の方が集まって幸子さんを偲びました。その記録をここにできる限り詳しく残したいと思います。その場に来られた方でも誰が誰なのかよくわからないこともあるでしょうから、復習の意味でもう一度よく見てください。

この記録はあくまでも私が個人的に綴る記録で、一切公式的なものではありません。個人の感想文程度で理解していただきたいと思います。

写真協力: ゆーきちさん たかやんさん 

 

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 新潟行きの日程はいつもながらきついです。

深夜3時に東京を出発、8時に着き、近くで時間調整をしてから9時に幸子さん宅に到着。もうこんなにたくさんの車が来ています。

前を走っているのが幸子さんの姪っ子である舞子ちゃん。「さっちゃん物語」でもおなじみの、幸子さん似の美人です。

 

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 約40人の方が来ています。自分で言うのも変ですが、この中で一番顔が広いのが他でもないこの私です。東幸会はもちろんのこと、四幸会、長野、大阪、山形、新潟県内、昔からの後援会の方にまんべんなく顔が通っています。

今日の進行役は吉原さんですが、お年寄りであるので、その補佐と、円滑な進行のための協力をお母さんから予め頼まれています。

お坊さんが10時に来るということで、自己紹介や挨拶、雑談をしながら時間を過ごしています。

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お坊さんが来ました。遺影碑の前に集まって挨拶を交わしています。

3年前に住職を受け継いだというお若い坊さんです。

片隅には新潟日報や村上新聞の記者さんも来ています。

 

 

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 読経をしているお坊さん、般若心経から始まり、約5分で終わりました。

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法要が終わりました。私は早速皆さんに芳名録を書かせたり、会費を集めたりしています。何しろ、40人もの人数ですから、テキバキ熟さないと間に合いません。同時に一人でも寂しい思いをして帰ることのないように、細心の注意を払います。

お坊さんの前に座っているのが舞子ちゃんです。

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その後はたにがわやでお食事会です。

村上市内までの移動なので、一行にはぐれる人がいないかチェエクにまたチェックです。

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 栃木から来られた石川さんご夫妻が見えなかったので、慌てて探しに行きましたが、無事に到着して、いよいよ宴会スタートです。

司会は例の吉原吉蔵さんです。幸子さんのファンとして是非覚えいていただきたい方です。そのウェイトは斉藤後援会長にも全く引けを取らないくらいです。

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前から見た宴会場の全景です。

手前に見える青いTシャツの方が栃木からの石川さんで、新たに東幸会に加わることになりました。その列にいる帽子の方がゆーきちさん、その隣の女性が相模美さんです。その向かいに、たかやんさんが飛行機で来るSeijiさんを迎えるために新潟空港に行ってしまったので、奥さんが一人寂しく座っているのが見えます。一番奥の立っている方がお母さんです。挨拶をしている所です。

 

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挨拶を述べている斉藤康男後援会長です。第一順位で覚えておくべき方です。

 

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昔の後援会の元老の一人鈴木さんが乾杯、いや献杯の音頭を取っています。

鈴木さんの前に座っている青いジャンバーを着ている方が大阪後援会長の井戸清一さんです。

そして注目の的となる方が、手前の青いTシャツの方の隣の女性、そう、石川さんの奥様ですが、その呑みっぷりが半端ではないです。今まで無敵だったMARIにとうとう好敵手が現れました。グラスを手に持っている表情がもう尋常ではないです。因みに、ご主人は一滴も飲めない方でした。

 

 

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料理はこんな感じです。鮭やイクラなどがメインです。近くの三面川(みおもてがわ)が鮭の名産地であるため、村上市ではどこに行っても鮭料理です。

幸子さんはお魚料理は煮ても焼いても生でも一切食べませんでしたか、鮭だけは例外でした。

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自己紹介と幸子さんを知った切っ掛けを述べる時間です。山形から来た上野さんを先頭に全員にマイクが回ってきました。上野さんは今年の春、お母様を亡くしています。その間たかやんさんが新聞記者の取材を受けています。

この自己紹介時間が長いので、その間、私とMARIは皆様に持たせる引き出物の管理をしています。幸子さんの写真入りのハンカチを2種類用意しました。

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この写真は平成元年12月16日NHKの食堂で撮ったものです。

一緒に撮った写真も他にいくつかあります。後ほどアップしたいと思います。

この写真を撮ってからわずか半年後に幸子さんが亡くなると誰が想像をしたことでしょうか。オーラを放つかのように美しい幸子さんの笑顔が逆にやるせない限りです。

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この写真は総和61年10月4日、三条市で杉の子会主催の村上幸子ショーを行う前に、楽屋で取った写真です。私のお気に入りの写真です。

これは、写真以外でもビデオがあるので、やはり後程アップします。

楽屋での幸子さんの様子が見られるとても貴重な動画です。

 

ファンの皆様が幸子さんと少しでも長い時間を一緒にいられたらいいなという思いで作った細やかな私の気持ちです。

 

     第一部終了

 

 幸子さん第27回忌法要後記  2/3

2016年7月23日 

 

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 では第2部です。2次会の会場は村上駅の近くにある「カラオケマイム」です。隣には一心という居酒屋があります。私たちは村上駅で佐渡島から来られた森川さんを見送って会場に向かいました。

 

 

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 吉原さんの司会でカラオケ会が始まりました。私は曲を入れる当番です。皆さんに曲名を聞いて入力していきます。順番は私が任意で決め、できるだけ皆様の集中力が切れないように、メリハリがあって退屈しないように気を付けながら組み合わせました。

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第一番は東幸会のゆーきちさんにお願いしました。曲名は「雪椿の唄」目茶上手いので、安心して聴けます。

奥の方ではSeijiさんが三条住いの女性の方を一生懸命に口説いています。その列に長野の宮尾さんご夫妻が映っています。Seijiさんの向かいがイサムさん、まさまささん、八海さんです。

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出ました、デュエット「みちのくしぐれ」です。

幸子さんが地元でこの曲を歌うときにはいつも吉原さんがお相手でした。吉原さんはプロ並みに歌が上手い方です。実際にプロの歌手を目指したこともあり、地元ではカラオケの先生もしていました。

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今日は相模美さんが幸子さんの代わりの役を務めます。相模美さんも歌がとても上手い方なのですが、今日はさらに輝いています。まるで幸子さんの魂が乗り移っているかのような歌い振りです。見つめあいながらの歌で息もぴったりです。

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お母さんです。さすがに「幸子の母」と呼ばれるだけの実力です。曲名は「高千穂峡」

 

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 たかやんさんの「不如帰」の熱唱です。もうすっかりたかやんさんの定番曲になりました。たかやんさんの「不如帰」は何故だか私達を幸せな気分にさせてくれるという評判です。さすがに周りにいる方が皆微笑みを浮かべながら聴いています。

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この方がイサムさんです。「盛り場かもめ」を歌っていますが、上手いも何もあったもんじゃありません。その声だけで周りを圧倒し、皆が固唾を呑んで、息もせず聴いていました。この顔の表情もよく見ておいてください。しかしその間にもSeijiさんの工作が休むことはありませんでした。

 

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東幸会の会長風さんです。最近関東でちょっと話題になっている「それなりに青い鳥」を歌っています。苦労をしただけに、さすがに感情が込もっています。

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藤井さんが「飛騨の龍」を歌っています。唯一のプロ歌手ということで皆耳を傾けていますが、手術をしたせいなのか、あまり元気がない感じです。

 

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予備新潟県人だと言われているSeijiさんが「放浪記」を見事に歌い上げています。皆さん、何でこんなに歌が上手いのでしょうか。

 

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魚沼からの八海山、いや八海さんです。

 

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上越市の進士さんも「不如帰」を歌っています。たまたまレンタルしたCDから「不如帰」を聴いてそのまま惚れ込んで幸子さんのファンになったそうです。それだけにとても真剣に歌っているのがよくわかります。

 

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 いつもバイクに乗って長野からお墓参りに来ているというまさまささんです。この方も幸子さんが亡くなってからファンになったそうです。ところで何の歌を歌ったんだけ、ご免なさい、思い出せません。

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もう地面の関係上全部は載せられません。省略された方はご免なさい。宴会もそろそろフィナーレに向かっています。歌に自信がないからと遠慮していた栃木からの石川さんが「おまえと生きる」を熱唱しています。やはりかなりお上手です。

なぜだか聴いていた奥さんが苦笑いで首を横に振っています。よく聞き取れませんでしたが、信じない信じな~いと言っていたような気か?

 

 

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そろそろ終わりかな?と思っていた矢先に、工作(?)を済ましたSeijiさんが相手の方とデュエットで「不如帰」を申し込んできました。いきなりこれです。お二人とも幸せいっぱいのいい表情です。正しく幸子さんの「幸」でした。それにしてもこんな短い時間に・・・・・・、Seijiさんすごい~

 

IMG 1436 再び相模美さんの登場です。本当に今日はさえています、相模美さん。曲は都はるみの今ひとたびの〜Vaya Con Dios〜
IMG 0345 そしてまたゆーきちさんが登場し、鳥羽一郎の「縄のれん」を幸子さんバージョンで歌いました。
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最後の曲は吉原さんが歌った北島三郎の「山」でした。2時間にわたって皆さん、一糸乱れぬ雰囲気で楽しく過ごしていただきました。私もハーモニカ演奏を披露しようかと思いましたが、せっかくのいい流れを乱したくなかったので、遠慮しました。とにかく何もかもがよかったです。 

ここまでがかなり長くなったので、いったん切らせていただきます。第3部は明日アップします。

 

 幸子さん第27回忌法要後記 3/3

2016年7月23日 

 

当初カラオケ会は予定されておらず、食事会が終われば解散することになっていました。わずか数日前に、私がそれを知って、それだけでさようならはないだろうと強く主張して急遽カラオケ会が決まったのです。それだけに私としては何が何でもカラオケ会を何事なく楽しんでいただきたかったのです。皆様のご協力のお蔭で無事に終わったことを心から感謝しております。

 

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 カラオケ会が無事に終わったということで、私の肩の荷はかなり軽くなりました。さて次はお墓参りです。とはいっても、これも予定に組み込まれた行事ではありません。お母さんは幸子さんがいつも遺影碑のところにいるんだと思い込んでおり、お墓参りのことは軽視する傾向があります。

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 写真には写っていませんが、私はお線香に火をつけたり、皆さんに虫よけスプレーをかけたり、お花を供えたりしています。余談ですが、お墓でお線香に火をつけるのは意外に大変です。またこんな藪の中ですから、蚊が雲のように集まってきます。その対策は絶対に必要です。

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 お線香に火をつけました。お花も供えました。お花はMARIが用意して東京から持ってきました。すでに色々とお飲み物が備えているを見ると、私たちの前にお参りに来られた方いることがわかります。私たちもそれぞれお線香をあげて手を合わせます。

安らかに幸子さん・・・・・・。

これで公式的な(?)行事はすべてこなしたことになります。

さて、これから計画されているのは第3回目の東幸会です。実は、風さんが消防職員協議会の方のコネを借りて瀬波に宿の予約を済ましてくれています。飲食店の予約も済んでいます。そのままホテルのチェックインをしてから、飲みに行けばいいことになっています。

でもせっかくこうやって集まっているわけですから、この機会を生かさない手はありません。それで県外から来た方を中心に宿の状況を聞きました。

たかやんさんは何と今日が、つまり幸子さんのご命日が奥さんのお誕生日だそうです。それで岩室に宿を取っているということ。Seijiさんは新潟市内に取ってあると、列車時刻を確認したら、19:30で最終便ということで残念ながら、お別れ。石川さんご夫妻は瀬波なので、OK、まさまささんも瀬波だから、大丈夫、イサムさんは村上市内なので、それくらいはタクシーで帰ればOK、ということで、先にチェックインを済まして予約の飲食店に集まることにして一旦解散となりました。

しかし、途中で問題が発生、当初は東幸会の5人と新潟の風さんの同僚の方2人の7人で飲食店の予約をしていましたが、増えている4人分の受付が出来ないということです。仕方なく、別の場所を探すことになり、時間がかかりました。結果的には事なきを得ましたが、そのため石川さんご夫妻を少々待たせてしまいました。

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瀬波はまなす荘です。ここで一日お世話になります。ここは新潟県市町村共済組合の提携先です。私たちは新潟県消防職員協議会の方のコネで激安で泊まらせていただくことになりました。設備も景色もサービスも申し分ないとても良い所でした。

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 石川さんが待っているので、チェックインを済まして約束場所に急ぎます。その途中で見たのがこの夕陽です。幸子さんがとてもきれいだと生前に言っていた瀬波の夕陽です。その夕陽を眺めているシルエットの女性はMARIです。ゆーきちさんが撮影しました。

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ここが変更された場所です、酒処千歳。

場所が変わったということを伝えるべく、イサムさんとまさまささんへの連絡を試みましたが、なかなかうまく行かず苦労しました。でも何とか全員が無事に集まることが出来ました。

 

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余談になりますが、これが私たちの飲んでいた居酒屋の真ん前にあった「汐見荘」です。幸子さんが生前に何度もディナーショーや忘年会、親睦会でお世話になった所です。また幸子さん亡き後には何度にもわたってここで偲ぶ会が開かれました。是非一度は見ておきたいゆかりの場所です。

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 皆さん、楽しく飲んでいます。奥では相模美さんが石川さんご夫妻としゃべっています。しばらくしてから、石川さんの奥さんがお酒で沈没です。おそらく疲れと緊張が原因だったのでしょう。

 

 

 

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私がまさまささんの話しを傾聴しています。向こうは向こうで盛り上がっています。一番奥の方に座っているお二人が例の消防職員協議会の方です。今回はとてもお世話になりました。間もなくしてMARIも沈没しました。

イサムさんの声の素晴らしさと歌の上手さが話題になりました。したら、イサムさんがスマートフォンで何かを見せてくれました。今日は来ていない四幸会の八十八さんが95点以上を狙っている幸子さんの歌のリストだそうです。我が東幸会にとどめを刺した瞬間でした。

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第4次会はスナックです。石川さんは奥さんが一人になっているので、先に帰りました。消防職員協議会のお二人も帰りました。ということでゆーきちさん、相模美さん、風さん、イサムさん、まさまささん、私の6人となりました。

先の居酒屋から近い「スナック杏」です。

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ゆーきちさんを始め、皆さん歌いまくっています。楽しくて仕方がないのです。

ゆーきちさんも相模美さんも、まさまささんも本当に歌が上手いのです。聴き惚れます。どんな歌でも上手に歌い上げます。

しかし……。

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この方の前にいると、ただの前座歌手です。いかなるテクニックも通用しません。その声だけですべてを制してしまうのです。どうにもなりません。

IMG 0379 相模美さんが熱唱しています。森昌子のようです。
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我が東幸会の会長風さんが少しでも名誉挽回をすべく必死に力を絞って例の「それなりに青い鳥」を歌っています。涙ぐましい熱唱です。

しかし……、

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こうやって簡単に蹴散らされます。見てください、あの顔。まるで教訓を与えているようです。歌というのはこう歌うんだよと。戦艦ヤマト、いやヤマモトに我が東幸会はなすすべなく撃沈です。

 

さて11時が回り、そろそろお開きです。とてもとても楽しかったです。いつまでもこうしている訳にも行かないことです。別れを惜しみながら、解散です。

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翌日の朝、再び幸子さんの所に戻ってきました。幸子さんはいつもこうやってほのかな微笑みを浮かべて私達を迎えてくれます。おはよう、さっちゃん。

昨日にはなかった花束とお飲物が置いてあります。その間誰かがお参りに来たのでしょうか。密かに来てお参りしてからこっそり帰る方も少なくありません。

IMG 0383 これはイサムサンの車です。幸子さんのサインが貼ってあります。たかやんさんの比ではありませんが、幸子さんへの愛情が覗けて感動的です。しかし問題は・・・、
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 肝心なお母さんがいないのです。私達との約束をすっぽかして藤井さんの仕事をするために新潟に出かけてしまったのです。是非お母さんと一緒に写真を一枚撮りたいと言った相模美さんの望みもかないませんでした。イサムさんもがっかりです。

最後の記念写真を幸子さんと一緒に撮りました。この写真を撮ってから10分後に岩室に泊まったたかやんさんがわざわざお母さんを一目見ようと遥々走ってきたのです。その時に私達はいなくなっていました。

その後の話し:

私とMARIは伊藤さん宅で待機している大阪後援会長の井戸清一さんに会うために先を急ぎました。大阪後援会が持っている幸子さんの資料も膨大なので、どうしても手に入れたいものです。スタートしてからすぐにたかやんさんから電話がかかってきました。ビックリしました。岩室温泉から幸子さんの所までは相当な距離です。しかも逆方向です。そのまま徳島に向かっても大変だというのに、そこまでしてお母さんに逢いに走ってきたのです。しかもたかやんさんもお母さんと約束をしたそうです。

別に急ぎでもない藤井さんの仕事をそこまで優先させる必要がどこにあるのか、まして今日は昨日来られなかった別のファンの方がお参りに来る可能性が大です。先ほどのお花の方もそうだったのかも知れません。よくもそれで私に藤井さんへの協力をあれこれ頼んでくるものです。先ほどまでは仕方ないなと思っていたのが、たかやんさんの電話で怒りが込みあがりました。しかし、今更どうしようもないのです。とにかく私と会うためにまだ大阪に帰らないで待っている井戸さんの所に急がなければなりません。たかやんさんとは伊藤さん宅で合流することにしました。伊藤さん宅で皆がしばらくの楽しい時間を過ごし、私が大阪を訪問するという約束を取り付けて、皆さんとお別れとなりました。私とMARIはその後も残って吉原さんと伊藤さんと夕方までカラオケで歌を歌ったり食事をしたりして過ごしました。伊藤さんは別れたくなくて中々私達を離してくれません。吉原さんもです。

でももう帰らなければなりません。土曜日の深夜3時に出てもう丸一日と半分です。いつもながら新潟行きの日程はきついです。それでも幸子さん思い一つでそれなりにお金と時間と体力を使って向かうわけです。私よりも遥かに遠い所からの方はもっと大変な思いをしていることでしょう。

帰り道に、お母さんに電話をしてひどく怒りました、一体私達のことを何だと思っているのですかと。言いたいことは全部言いました。お母さんに怒ったのは初めてです。お母さんはただただ謝るばかりでした。皆さんにもよろしくお伝えくださいとのことでした。もう過ぎたことだし、それ以上は責めませんでした。しかし、藤井さんのせいで幸子さんのことが少しでも疎かになるのは許せないことで、今後藤井さんへの協力は一切お断りすると断言しました。

これで後記を終わります。私なりに後記を思い出せる範囲で書いてみました。思い出せないことや見落としたこともたくさんあると思います。それぞれ皆さんの記憶と組合わせて読んでいただければ幸いです。23回忌までは昔の後援会の方が中心でした。こうやってネットで集まった方がたくさん参列したのは今回が初めてです。その意義はとても大きいのだと思います。最後に少し寂しい思いをしましたが、イサムさんも、ゆーきちさんも、相模美さんも、たかやんさんも、もうお母さんを許してあげてくださいね。誰が何と言っても幸子さんのお母さんですもの。

 

 

八海さんのお便り

2016年8月14日 

 

数日前に魚沼後援会の八海さんからお便りが届きました。

すぐにでもご紹介をさせていただかったのですが、あいにく翌日私の大阪後援会の訪問が予定されていたので、今日になってようやくアップすることが出来ました。送ってきたのは……

 

 

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八海さんがプロデュースしたCDです。

四季の新潟と越後自慢がそれぞれ唄とカラオケが収められています。

 

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「幸子絶唱 村上幸子メモリアル追悼盤」を発売する際のパンフレットです。

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あとは、八海山の作文です。今回皆さんに見ていただきたいのはこの作文です。読みやすくするために、下に全文を書き写してあります。長文ですが、どうぞ最後までのご一読をお願い致します。でもその前に、・・・                         

img497 この八海さんという方への理解を少しでも深めるために左の手紙を先に読んでください。PCの方は左の手紙をクリックしてください。モバイルの方はそのまま拡大して読んでください。

 

 

月の兎――村上幸子聖女伝説

                            

                              

 

            はじめに

 

村上幸子は月の兎に他なりません。月の兎とは、仏教の説話の一つで、一言で言えば慈悲の心を諭す自己犠牲の話です。

それは次のような話です。その昔、猿と狐と兎が仲良く暮らしているという話を聞きつけて、天の帝が老人となって食べ物を求めました。猿は木の実を、狐は魚を持ってきました。しかし、兎は何も見つけられませんでした。そこで、覚悟を決めた兎は、集めた薪に火をつけてもらい、焼けた自分の身を食べてください、と自らその中に飛び込んだのです。これをみて、深く感動した天帝は、亡骸を月の宮に葬りました。それによって、月に兎の姿が映るようになり、月の兎として語り継がれることになりました、という話です。

この話は、自らの生命はなくなろうとも、相手の生命を救うためには自分の身を捧げてもよい、という気持ちが大事だ、というたとえ話です。

私は、この話を手塚治虫が釈迦の一生を描いた作品「ブッダ」の冒頭と最後に出ていることにより知りました。同様の話としては、法隆寺の玉虫の厨子に描かれている「捨身飼虎」の話があります。

良寛さんは、この話を長歌として残しており、平成17年6月には歌舞伎座において中村富十郎主演の舞踊劇として上演されています。その中で良寛さんは、子どもたちが「兎があまりにもかわいそう」と悲しがる様子をみて、「それが情けというものじゃ」と教えるのでした。

 

  村上幸子と広島のファン

それでは、村上幸子はなぜ月の兎なのか。それは、幸子さんのお母さんから次の話を聞いたことから確信するようになりました。

広島に村上幸子の大ファンがいたのですが、癌を宣告され、余命いくばくもない、という状態になったそうです。そして、生きているうちにどうしても大好きな村上幸子さんのコンサートに行きたいということで、無理を押してでかけ、楽屋で幸子さんに訳を話し、しっかりと手を握ってもらったそうです。その後、なんとその人は奇跡的に癌が治ったそうなのです。しかし、反対に幸子さんはリンパ腫となり、帰らぬ人となったのです。そして、その広島の人は、荒川町の実家を訪ね、お礼のあいさつにうかがい、幸子さんの遺影に手を合わせた、というのです。

まさに、自分の身を犠牲にして相手を助けた、としか言い様がありません。幸子さんは、まるで病を癒す薬師観音みたいです。

 

  渡辺 謙との縁―――あなたもそうなのよ

もう一つ、私が考えるに、渡辺 謙との縁が似た例としてあります。

渡辺 謙は、なんと村上幸子を同じ10月21日生まれで、実際は1年先に幸子さんが生まれているのですが、巷では同じ昭和34年生まれということになっていて、同じ年月日に誕生したことになっています。同じ新潟県生まれで、一人は歌手としてもう一人は俳優として芸能界で活躍する同じ星の下に生まれた二人、ということになるわけです。

さて、この二人、不思議なことに病気になる時期が一緒です。そして、さらに因縁めいているのは、渡辺 謙の前夫人の由美子さんと幸子さんが会ったことがあるという事実です。この話は、幸子さんのお母さんから聞きました。

それによれば、幸子さんは由美子さんから渡辺 謙の病状の話を聞き、「あの人、もうだめなんですって」と、お母さんに語ったそうです。それを聞いて、お母さんは思わず「あなたもそうなのよ」と口に出して言いそうになった、とのことなのです。

幸子さんには、リンパ腫であと半年の命、というのは知らされてはいませんでした。しかし、本人はわかっていたようです。幸子さんがお母さんに隠しながら綴っていた闘病メモからはそのことが伺い知れるようです。渡辺 謙と同じ誕生日というのを幸子さんが知っていたかどうかはわかりませんが、どうも幸子さんは自分の命を削ってでも渡辺 謙を助けてあげたい、と考えていたのではないか、と私には思えてなりません。

私は、「不如帰」の入っているDVDを買い求め、幸子さんが逗子の海岸を歩くシーンとともに流れてくる「二つ命を結ぶ糸、ちぎれて哀し相模灘」の歌詞を聞いた時、咄嗟にこの文句、この歌は、渡辺 謙へのメッセージソングだ、と直感しました。同じ誕生日である一年先に生まれた姉として、自分の生命力を弟とも言うべき渡辺 謙に与えたのではないか、と思うのです。今の渡辺 謙の活躍は幸子さんのおかげだ、と私は強く思っています。

このように、渡辺 謙との関係においても、幸子さんは自分のことを構わずに人に尽くすタイプの女性だったのだな、とつくづく思います。

 

   流し続けた涙の意味

 幸子さんは、亡くなる時も、そして亡くなってからもずうっと涙を流し続けていました。私は、その涙の意味をもう一度考え直してみたい、と思うのです。それは無念の涙ではなく、天からの啓示を受けての随喜の涙ではなかったのか、と。

 考えるに、自己犠牲により自分の生命は尽きたとしても、自分の生命を相手に与えることにより、自分もまた別の意味で生き続けられるのだ、と悟り、その達成感とともに、現世から離れる少しのさみしさを含め、今、神仏の意思により天に召されてゆくのだ、という歓喜に包まれての随喜の涙では、なかったか、と信じたいのです。

 だからこそ、今でも人気は衰えず、今でもCDの発売が継続して続いていて、その歌は、多くの人に親しまれ、ファンを始めとする人々の心の中に生き続けている、ということになると思うのです。それらは皆、神の思し召しに他なりません。幸子さんが三十一歳という若さで夭逝したのは天命だった、と強く感じています。

  

  遺影の涙

 幸子さんは月の兎であるがゆえに、数々の奇跡を起こしています。その一つに、母の日の遺影の涙があります。ずっと一緒に応援をしてくれて、病気の時には涙を見せずに看病してくれたお母さん。その母一子さんへの感謝の気持ちを現世に示すべく、母の日に仏壇に飾ってある遺影に涙の筋を表出させました。

その話をお母さんが私にした時、お母さんは私に、「幸子は悲しんでいるのでしょうか」と尋ねました。私は答えました。「いいえ、幸子さんは、お母さん、いつもありがとう、と感謝のうれし涙を流しているのです」と。

私も右斜め横から遺影を見てみました。確かに左目の目元から涙に見える筋がしっかりとガラス面に反射して見えるのです。遺影に涙に見える跡が出る、というのは、物理的には、お供えの花などについていた露がガラスまで飛んで付着したのだ、といえばそれまでのことです。

しかし、不思議なことにちょうど左目の目元にその水滴が当たる、なんてのも偶然にしては出来過ぎています。似た例として、秋田にある教会のマリア像が目から涙を流した、という事例があるそうです。何はともあれ、偶然の産物であるとしても涙を流したように水滴の跡がつき、それが現世に生きている我々に天にいる幸子さんからのメッセージとして受け止められ、不思議な気持ちに包まれることは確かなわけで、それが奇跡の一つに他ならない、と言われればそれなりにうなづけます。

 

四季の新潟」と二人の幸子

奇跡といえば、「四季の新潟」を小林幸子が歌ってくれた、というのもその一つに入ると思います。縁あって、私は無謀にも小林幸子に「四季の新潟」を歌ってほしい、とお願いしたことがあったのですが、もちろんしっかりと断られまして、あきらめていたのです。

ところが、結果的に見事実現しました。それは、新潟大学の寮歌として「四季の新潟」が親しまれていたことから、二人の幸子さんとも新潟大学首都圏同窓会との縁により歌うことになったのです。

私は、同じ幸子という名前で同じ新潟県出身ということで、歌い手を生業に選んだ二人の幸子さんは、姉妹のように仲が良いのだ、と勝手に思い込んでいました。しかし、実際はそうではなく、二人はライバル同士で火花を散らし合った仲だった、ということを最近知りました。

加えて、二人のCDが似ているのも不思議な話です。小出町新潟市が出したのですが、片や閉町記念で一方は合併記念、名前のロゴが一致していて村上と小林が違うだけ。片やタイトルは「越後自慢」と「越後絶唱」ということで2字違うだけなのですが、受け取るリスナーの越後のイメージは正反対です。このことは、新潟日報の投書欄「窓」において紙上をにぎあわせました。私も投稿して見事採用されました。

ちなみに小林幸子あてのデモテープのナレーションは、小出郷文化会館のミキサー室で録音されました。新潟日報の「幕下りる時」の記事写真と小出まつり歌謡ショーで歌っている村上幸子さんの写真を飾りながら、魚沼市観光協会事務局長の「魚沼のサッチャン」こと桑原幸子さんが、私の書いた原稿を読んでくれて作成したものです。

村上幸子が持ち歌として歌っている「四季の新潟」を、一度断られたにもかかわらず小林幸子が歌ってくれたことは、まさに私にとっては奇跡そのものでした。いろいろな経緯はあるものの、三国志の如く「死せる村上幸子、生ける小林幸子を歌わす」という感じです。

 

 聖女伝説

 その他にも、幸子さんは猫や蛇や蝶などいろいろ姿を変えて現世に現れてきていますし、お墓に雷が落ちたなんてのも偶然にしては出来過ぎています。新潟駅に、亡くなってからもなおパネルが13年間も掲出され続け、ふるさとの

荒川町の方向に向かって、たらい舟に乗りながら笑顔で旅立つ人を見送り続ける、なんてことは、もう泣きたくなるほどの偉さです。ワールドカップのサッカーさえなければ撤去されることもなく、今でもそのままで笑顔をふりまいていたのではないでしょうか。撤去された後のことですが、羽越線で突風による脱線事故が起こりました。幸子さんの写真パネルをはずしたばかりに、と思わざるを得ません。このことは私にとって、都市伝説の一つとなっています。

私自身も鈴木家の墓の場所がわからないままに歩いていたところ、自然と墓の前に導かれたり、2回目に訪れた際には曇り空から西の海辺のあたりから後光の如く陽がさしはじめ、やがてその光が幸子さんの墓にあたりました。その後、何か起こるのでは、という予感がしていたところ、東北の方向に虹がなんと2回も出たりして、思わず車の中で「奇跡だ」と大声を出したこともありました。また、その他にも幸子さんにいろいろ助けられたり、カラオケでいい点数が出たり、と小さな奇跡と思えることも体験しています。

このように考えると、幸子さんは人々に奇跡を起こして功徳を与える聖女の一人だと言えます。小池可奈さんの「さっちゃん物語」にも書かれている様に、まさに観音様の生まれ変わりと言ってもよいでしょう。

今回、歌手活動30周年記念の特別公演が行われるのも、一般的にはなかなかやれないことです。石原裕次郎や美空ひばりに匹敵する快挙です。裕次郎や美空ひばりが追悼忌を盛大に行なうのはプロダクションの力ですが、村上幸子はファンの力であり、17回忌や今回の30周年特別公演は後援会の主催です。

「ファンの皆さん、私を忘れないでね」と遺言ともいうべき七夕の短冊の言葉を、しっかりとファンは受け止め続けています。幸子さんは、みんなの心の中に生き続けていることに他ならないのです。

幸子さんが奇跡を起こす聖女ならば、お母さんである一子さんはキリストの母たるマリア様と言えると思います。そんな思いのせいでしょうか、近頃、私はお母さんの顔がだんだんとマザーテレサの顔に見えるのですが・・・。

そして、お母さんは、天上界の幸子さんと地上界を結びつける巫女さんの役目も果たしていると思います。だからこそたくさんの奇跡が生まれるのだ、と私は確信しています。

終わりに、私の詠んだ三首を添えて、聖女伝説を締めくくることといたします。

 

  導かれ参りし墓は陽に満ちて

       村上幸子微笑みており

   

      多かれと

       が祈る  思い示して虹の懸かれる

望月に浮かぶ兎を眺め居て

      想い出ずるは君の笑顔よ

 

不如帰の地を訪ねて……第6回東幸会

2016年12月17日 

 

今年も残す日わずかとなりました。

今年は色々とたくさんの出来事や出会いがありました。

 

第一回 神田

第二回 上野

第三回 上野

第四回 瀬波温泉(幸子さんの27回忌)

第五回 水道橋(四幸会の親分のご上京の歓迎会を兼ねて)

と続けてきた東幸会ですが、今回は不如帰の地を訪ねて幸子さんの足跡を辿ることで今年の締め括りにしようという企画が上がりました。 決行の日は12月17日。

 ということで、当日午前11時に京急線の新逗子駅に集合しました。残念ながら、半点さんと相模美さんは都合により不参加となりました。 

最初に目指すところは「蘆花記念公園」及び「蘆花記念館」です。ここは元東京後援会の河村さんから推薦していただいた所で、幸子さんも「不如帰」のリリースの前に訪れたそうです。

 

 

▼ 右にきれいな川を見ながら、駅から海岸に向かって歩きます。この川は海水の混じった汽水だと思われます。遠足日和というのは正しくこの日のことで晴れていて風もなく暖かい一日でした。空気も澄んでいます。

 

 

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  ▼ 海岸が見える頃に左に曲がってこんな登り道の住宅街を横断します。
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  ▼ 間もなくして公園の入り口です。記念館は公園の奥にあります。そこそこの登り道です。
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  ▼ 園内の紅葉がとても綺麗です。これだけでもここまで来た甲斐があります。
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  ▼と思いきや、いきなりこの景色です。びっくりです。江の島の向こうに見える雪の富士山があまりにも綺麗で言葉を失いそうです。写真では分かりにくいのですが、不如帰の碑も見えます。
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  ▼ 記念館に着きました。中々趣のある所です。入館料は100円ととても安いです。
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   ▼ これが浪子さんです。何と浪子さんの歳は14歳だったそうです。
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   ▼ これが不如帰の碑に書かれている文字の原本で、書いた方は蘆花さんの兄である蘇峰さんだそうです。因みに私の地元の大森には蘇峰記念公園があります。
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   ▼ 他にも色々と見て回りました。管理人さんも長い時間をかけてたくさんのことを説明してくださいました。ここではこの程度で割愛を。
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  ▼ 記念館を後にして、今度は幸子さんがロケを行った海岸に向かいます。
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  ▼ 途中で昼食です。メニューはステーキでこんな感じ。幸子さんが歩いた海岸を窓越しで眺めながらの食事です。
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  ▼ 不如帰のカラオケを再生して正確な場所を特定します。ここです。
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▼ 今度はカラオケで幸子さんが歩いていた海岸を横切って不如帰の碑に向かいます。

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▼ 逆光のせいで写真の映りが最悪です。どうにもなりません。

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  ▼ 次は浪子不動です。ここはロケが終わってから幸子さんが写真を撮ったところです。もちろんカラオケにも映っています。当時と比べると、ヤシの木がかなり大きく成長しています。
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  ▼ 続けて浪子不動です。リフォームされていて当時とはかなり印象が異なります。
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  ▼ 次はカラオケの3番あたりに登場する階段を目指します。そのためには披露山公園まで行かなければなりません。ハイキングコースもありますが、その案はゆーきちさんに却下(?)されてもっときつい道を迂回して登ることになりました。とにかくしんどいです
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  ▼何とか着きました、ここが披露山公園です。
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  ▼ 公園から見下ろした景色です。とにかく素晴らしい。
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  ▼ 正しくその階段です。幸子さんが立っていたちょうどその場所そのポイントです。
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  ▼ 足を延ばして大崎公園まで行ってみました。逗子海岸や葉山、逗子マリーナと江の島、富士山が一望できます。
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  ▼あとは帰るのみです。歩いた距離が半端じゃないので、みんながとても疲れていました。しかし、徒歩以外は駅まで戻れる得策がありません。披露山公園に逆戻りして売店でソフトクリームを食べて休憩を取ってから駅に向かいました。意外に帰り道は楽でした。それから横浜で忘年会を兼ねて東幸会です。
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これで今回のイベントは終了です。本当に今年はたくさんのことがありました。出会いもありました。きっと幸子さんも私たちにお伴をしてくれたことと信じています。

来年もよろしくお願いします。ありがとうございました。

 

第7回東幸会 Ⅰ … 不如帰の旅東京編

2017年2月25日 

 

今年に入って初めての東幸会です。 

今回は不如帰の旅東京編と放浪記の旅新宿編(正確には中野ですが)を企画しました。

不如帰の旅東京編は前回の逗子編に続くものですが、不如帰の作者である徳富蘆花さんの住んでいた恒春園をお訪ねすることで、幸子さんの不如帰への理解をより深めようというのが目的の一つです。かつて幸子さんも数回にわたって訪問しており、不如帰を語るにあたって絶対に外せない所でもあります。 

もちろんここだけでは一日のコースとしては短いので、その後に放浪記の旅が続きます。それぞれのアクセスが今一つだったので、少々悩みましたが、MARIがこれらのコースをうまく組み立ててくれました。

 ということで、当日午前11時に京王線の蘆花公園駅に集合しました。何と遥々長野からまさまささんが駆けつけていただき、更に楽しく有意義な旅になりました。最初に目指すところは「蘆花恒春園」です。

 

 

▼ 恒春園までは蘆花公園駅から徒歩で約15分です。東京としてはかなり趣のある素敵な道です。

 

 

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  ▼ 蘆花恒春園の入り口です。
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  ▼ 公園には梅の花が満開です。入口の全景です。
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  ▼ 左に見えるのが蘆花記念館です。逗子にも蘆花記念館はありますが、こっちの方がより生活感のある展示品が多く見られます。
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  ▼ 記念館の入口と内部。入場料は無料。

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  ▼ ここにも逗子で見た浪子さんの肖像画がありました。それにしても14歳にしては色っぽすぎる……。
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 ▼ あ、辛い!辛い!もうもう女なんぞに生まれはしませんよ。苦しい… 浪子さんの最後の言葉です。

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   ▼ 浪子さんとお父さんのモデルになった方だそうです。
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   ▼ 蘆花さんの書斎
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  ▼母屋。芳名録に「村上幸子さんの足跡を追って…、東幸会」と残しました。
 

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  ▼ 蘆花さんご夫妻のお墓です。正しく28年前に幸子さんが立っていたその場所です。
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 ▼皆で記念写真です。彼の日の幸子さんが立っていたちょうどその場所です。 

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  ▼ 相模美さんとMARIが風船を飛ばしている幸子さんの真似をしています。背景はあの時と何も変わっていませんが……、いや~、何でもないです。お二人ともお綺麗です、はい。
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まだ蘆花公園の中を見ていないので、もう少しゆっくりしたかったのですが、先を急がないと、次が大変です。戻りは八幡山駅まで歩き、そこで昼食を取ります。そして、新宿駅まで戻ってそこからは大江戸線で中井駅まで行きます。2部に続きます。

 

 

第7回東幸会 Ⅱ … 放浪記の旅新宿編

2017年2月25日 

 

京王線で八幡山駅から新宿まで、大江戸線に乗り換えて中井駅で降りました。

中間目的地は林芙美子さんのお墓がある功時運寺です。

▼ 静かな住宅街を15分ほど歩いて功運寺に着きました。周りは由緒ある大きなお寺がいくつも立ち並んでいます。お寺の町という感じです。

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▼ 功運寺もとてもきれいなお寺です。芙美子さん以外にも数々の名士の方のお墓があります。それを見て回るのも一興あることですが、今回はパスです。

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▼ 林芙美子さんのお墓です。
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 ▼ 彼の日の幸子さんもこうやってお墓参りに来ていました。

 

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▼私たちもお参りです。
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 ▼幸子さんとはあまり関係のないことですが、これが吉良上野介及びその一族のお墓です。彼の討ち入りの際に打たれた人達が眠っています。

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▼ 今度は哲学堂公園を目指します。15分くらい歩いて妙正寺川が見えたら、もうすぐです。
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  ▼ 哲学堂公園に入りました。

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  ▼この池で鯉の魂が云々という方がいました。さすがに哲学堂公園です。

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▼ 理想橋です。ちょっとだけですが、カラオケにも映っています。
 
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 ▼ 幸子さんが哲理門の前に立っています。
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 ▼ 今でも昔のままでしょう?
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▼ ここでも記念写真です。

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▼ 六角塔です。
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▼ 宇宙館です。
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 ▼そして鬼神窟です。幸子さんが女の子に放浪記を読んであげていたその場所。 

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▼ 今は改修工事のために石段が取り除かれています。
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▼ 遠景です。
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 これでロケの場所はすべてクリアしました。あまり時間がないので、15分間の休憩のあと、次を目指します。かつて幸子さんも訪ねたことがあります。
▼ 妙正寺川沿いを歩いて中井駅に戻ります。林芙美子記念館(旧邸)はその途中にあります。
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 ▼ 林芙美子記念館(旧邸)です。
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これで思い残すことはもうありません。歩いた距離も約12kmで程よい疲れです。

▼ 西武新宿線で新宿に戻りました。コリアンタウンを少し散歩してから、焼肉で楽しいお食事会です。
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食事会は2時間半にわたって楽しく和気藹々とした雰囲気で行われました。料理もおいしかったです。天気もよくて最高の一日でした。幸子さんとずっと一緒に歩いていた気がします。

まさまささんのバスの時間が夜9時だというので、お食事後には駅の近くの喫茶店でゆっくりと時間をつぶしました。そして新宿駅でお別れです。皆さんお疲れさまでした。

 

 放浪記 池上編

2017年6月25日 

 

 前回の放浪記新宿の旅からちょうど4か月が経ちました。本日、あのとき宿題として残しておいたもう一つの「放浪記」のロケ地である池上梅園に行ってきました。

 御周知のとおり、池上梅園では東映が制作したプロモーションビデオのロケが行われました。平成元年5月のことです。

 私の住まいからとても近いので、私一人で自転車で行くつもりでしたが、どうしても一緒に行きたいというやつがいたので、仕方なくタクシーで.......(ぐすん)

 池上梅園は読んで字のごとく池上にある梅園のことです。池上と言えば、日蓮宗の総本山である本門寺、その門前町の雰囲気が何とも言えません。

▼ 池上本門寺の境内 (ウィキペディアより)

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▼ 入口 入場料は100円です。

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 ▼ では、そろそろ放浪記の探索です。

  これがカラオケの最初に登場しますが、残念ながら、ここは池上梅園ではなく、鹿児島市の古里公園で    す。パスします。 

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  ▼ まずはここから
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  ▼ 彼の日の幸子さんが歩いたあの場所にMARIに立ってもらいました。
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 ▼ 多少形が変わっていますが、この樹がその樹です。

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  ▼ ここが茶室「聴雨庵」です。

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 ▼ 当時の垣根は今は撤去されています。聴雨庵の全景

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  ▼ 右の方に回ってみます。
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▼ 井戸です。
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 ▼ 当時の八つ手の木が枯れてしまったのか、松の木に植え替えられています。
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 ▼ 水琴窟です。これでカラオケに映っている風景は終了です。
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▼ あとは残りの池上梅園の景色をどうぞ  

  和室です。有料で茶道が楽しめます。                             

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  ▼ 静かな道です。
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 ▼ 池

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  ▼ この階段を登り切ったところで親子の狸を4匹見つけました。あまりにも可愛くてしばらく見惚れていました。刺激をしたくなかったので、写真は撮りませんでした。
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 幸子さんの所縁の地の探索が終わると、急にやる気がなくなってしまいました。

 あとはほどほどにして退散です。

 でもこれで幸子さんの足跡をもう一つ辿れたので、非常に嬉しく思います。

 

 

幸子さん第28回忌後記 Ⅰ

2017年7月22日

 昨年の27回忌から早くも一年が経ちました。と同時にこのHPも開設してから一年が経ちました。今年のご命日には「母を囲んで幸子を偲ぶ集い」を、の企画を3月から進めてきました。

要するに、お母さんを招待して瀬波温泉で一泊しながら幸子さんを偲ぼうという計画です。

宿は東幸会長の風さんのコネで消防職員協議会の渡辺様のお力を借りて昨年同様はまなす荘を予約することに成功しました。そして下準備のため私が村上に行ってきたのは先月のことです。

今回幸子さんのお参りに来られた方々は総勢20人となりました。

以下順不同敬称省略ネット上のHN優先括弧内の数字は人数

東京(3)  ASKA MARI ゆーきち

大阪(3)  井戸 坂本ご夫妻

京都(1)  くまきち 

千葉(1)  風

神奈川(1) 相模美

栃木(2)  石川ご夫妻

新潟(2)  伊藤 武中

徳島(2)  たかやんご夫妻

愛媛(1)  Seiji

岐阜(1)  ナカムラ

大分(1)  イサム

長野(1)  まさまさ

山形(1)  上野

 

  

土曜日の朝4時半に車で東京を出ました。詳しくは掲示板を読んでいただきたいのですが、阿賀野市の水原ふるさと農業歴史資料館で幸子さんのデビュー時代の写真が展示されているという投稿がちょうど一か月前にありました。今回は少しルートを変えてその展示会に顔を出してみたいと思います。

▼着きました、ここが水原ふるさと農業歴史資料館です。歩いてすぐのところに白鳥の渡来地として全国的に有名な瓢湖があります。ここで何と同じ東幸会のゆーきちさんと相模美さんに会いました。びっくりです。やはり私達通じるものがあるのでしょうか。

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   ▼ 写真の展示場は思っていたよりはかなり小規模でした。これが例の幸子さんの写真です。まぎれもなくデビューしたばかりの頃の幸子さんです。何故だか隣にはアグネス・チャンの写真が.......・
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   ▼幸子さんのご命日を前にしてデビューしたばかりの幸子さんにこうやって遭っているなんて、何とも言えない不思議な気持ちでした。涙が出そうになりました。
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   本当はここで大阪後援会長の井戸さんと待ち合わせることにしていましたが、遅れるということだったので、私はそのまま幸子さんのご実家に向かいます。長テーブルにこの写真を展示した方のお名刺が置いてあったので、いただいてきました。
 

 更に一時間半を走ってご実家に着きました。すでにたかやんさんご夫妻とお孫の龍雅ちゃん、石川さんご夫妻、イサムさんとSeijiさんが来ていました。そして岐阜から初めて来られたナカムラさんを私が中に案内しました。お仏間はすでに全国各地で届いたお花でいっぱいです。

▼埼玉の野本さんからのお花です。

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   ▼死去ネットでお馴染みのよかにせさんからのお花もありました。ここでもデビューしたばかりの幸子さんが歌を歌っています。
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   ▼名古屋の梅村さんからのお花です。
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   ▼金森さんからです。
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  ▼他にもたくさんの方から届いたお花で部屋はもうお花畑です。それに数々のご進物が山積みです。
 

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  ▼そしてお仏壇の周りにも.......
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 ▼お花畑の向こうに幸子さんが微笑んでいます。

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 一年ぶりの再会をしばらく懐かしんでいました。イサムさんが手術を受けたということで心配していましたが、人造人間になって無事に復活されたということです。でも手術がもう一回残っているそうです。

▼しばらくの歓談後に皆で食事に行きました。目星を付けていたところが外れ、別のところですることになりました。食事が終わってからの写真です。

向かって左の帽子を被っている女性とその隣の方が石川さんご夫妻ですが、一日前に来られて何と幸子さんのお墓を綺麗に掃除してくれました。翌日が大雨で当初計画していた皆のお墓参りが中止になったのを考えると、石川さんご夫妻の功績は至大です。

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 残念ながら、石川さんご夫妻とは翌日の避けられない事情があったため、お別れをせざるを得なくなりました。そして時間が時間だったので、皆さんにはホテルに行っていただき、私はお酒の調達とお母さんの支度と伊藤さんとの合流のために一旦は戻ることになりました。

▼15時になってようやくホテルに着きました。皆さんはドリンクを飲みながら、歓談を楽しんでいました。これがはまなす荘です。

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   ▼紆余曲折の末、ようやく伊藤さんが到着です。皆が揃ってはいませんが、取り敢えず記念写真です。
 

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 夕食は18時30分からということで、それまでは自由です。お風呂に入ったり、海岸を散歩したりおしゃべりをしたり.......。私は部屋でゴロゴロです。

▼夕食の時間になりました。室内が少し暗いので、写真の映りが今一つです。

 

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   ▼たかやんさんとseijiさん
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   ▼お母さんとイサムさん
 

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  ▼ゆーきちさんと相模美さん
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 ▼たかやんさんの奥さんとお孫さんの龍雅君

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   ▼伊藤さんと?
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   ▼イサムさん
 

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   ▼ゆーきちさんと風さんと井戸さん
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  ▼風さんと井戸さんとまさまささん
 

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   ▼ナカムラさん
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 ▼武中さんとSeijiさん 新潟県人と予備新潟県人の会同 

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  ▼そして大阪後援会長の井戸さんが皆さんに貴重なプレゼントを用意してきました。このイラストのハンカチと幸子さんの生前の写真です。イラストは井戸さんが直々描きました。写真を撮ったのは伊藤さんです。因みに撮影場所と撮影日は燕文化会館で昭和62年3月29日です。
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  長くなっているので、一旦ここで切ります。

 

幸子さんの第28回忌後記 Ⅱ

2017年7月22日

ホテルではカラオケの予約が出来なかったので、近くのスナックで第2次会をやることにしました。これは東幸会の第9回の会合を兼ねることにします。店内はとても暗くてうまく写真を撮ることが出来ませんでした。画質が悪いのですが、どうかご勘弁を.......。

第2次会は何を言うこともありません。皆さん幸子さんの歌を歌いまくっています。それにしても皆さん歌が上手すぎてビックリです。上手さだけでは優劣が付け難いのですが、個性から言えば、私個人としては断然岐阜から来られたナカムラさんに軍配です。武中さんもとてもいい声で素晴らしかったです。MARIはイサムさんの声に惚れ惚れです。ここはどうもこうもないので、説明はほどほどにして写真を羅列することにします。

▼まずはゆーきちさんと相模美さんの「みちのくしぐれ」からです。

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▼全体の様子

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 ▼東幸会の会長風さん

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 素晴らしい声の持ち主武中さん
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 ▼MARIがこの方の声に魂を抜かれています。その声量と声の響きは本当に一度聴けばわかります。詳しくは昨年の第27回忌の記録を参考にしてください。
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▼そのド迫力に皆が固唾を呑んで見守っています。
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 ▼東幸会のマドンナ相模美さんです。

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 ▼まさまささん
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 ▼さすがに幸子さんのお母さんです。上手すぎる!!

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 ▼Seijiさん 放浪記が専門です。
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  ▼この方が個性満点のナカムラさんです。もう写真だけでもおわかりでしょう。

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▼ゆーきちさん頑張って
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 ▼永井裕子の歌に関してはこの伊藤さんの右に出るものなし
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  まあ、一応こんなもんかな。ホテルの門限が23時というのと、明日は幸子さんのご命日なので、名残惜しいですが、今日はここまでということになりました。天気予報では雨となっていましたが、ホテルに戻るまではかろうじて持っていました。

 

幸子さんの第28回忌後記 Ⅲ

2017年7月23日

23日になりました。幸子さんのご命日です。昨夜から降り出した雨はかなり大降りになっています。ホテルでバイキングの朝食を取ったあと、お母さんは武中さんと一緒に一足先にご自宅に帰りました。私は色々後片付けと精算のことなどがあるので、もうしばらく残っていました。

あ、そうでした。私の携帯電話に村上氏にお住いのファンの一人の方から本日訪問は出来ないが、せめてお香典でも送りたいということでお母さんの連絡先を確認する電話がありました。私もその方の連絡先をいただきました。

▼ご自宅には次から次へと車が到着しています。写真ではよくわかりませんが、かなりの雨が降り続けています。皆さんは部屋で盛り上がっています。

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▼初めてのお客様を案内するため、私は一人で外で待機しています。

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 ▼真ん中のお二人が大阪から訪ねて来られた坂本さんご夫妻です。何と昨夜に泊まった宿がはまなす荘の隣のホテルだったそうです。お声をかけていただければよかったのに.......。

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 ▼これが坂本さんご夫妻がお持ちになったお花です。お手紙が添えられています。これを遺影碑に供えてお参りだけをしてそっと帰ろうしたらしいです。
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▼人数が多いので、お部屋が満杯になって、廊下までぎっしりです。
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 ▼四幸会を代表してイサムさんが挨拶を述べています。実はこれの前にお母さんと東幸会の風さんも挨拶を述べましたが、撮りそこないました。

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▼大阪後援会長の井戸さんが何かを考えています。この方のお陰で幸子さんの写真やテレビ録画の資料が数多く残っています。
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 写真はありませんが、最後に皆で「おまえと生きる」ならぬ「幸子と生きる」を合唱しました。天候の関係上計画していたお墓参りは中止となり、坂本さんご夫妻とSeijiさんはお帰りになることになりました。たかやんさんはSeijiさんを空港まで送りに行きました。他の皆さんは予約してある村上市内のカラオケ店に向かいました。

▼何のことはありません。昨夜の2次会と同じです。皆さん心行くまで幸子さんの歌を歌いまくっています。この宴会は12時前に始まって15時過ぎまで続きました。

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▼取り寄せのお寿司を食べながら、歌を歌いながらのゆったりの時間です。

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 ▼ゆーきちさん
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  ▼イサムさんと京都からのくまきちさん、岐阜からのナカムラさん。イサムさんはソフトドリンクなんかは飲みません。ひたすらビールです。

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▼風さんと相模美さん
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 ▼選曲中のナカムラさん
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  ▼長野からのまさまささん。いつもはでっかいバイクに乗って来られる方です。

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▼伊藤敏郎さんが永井裕子の北陸本線冬の旅を唄っています。幸子さんの3年間分の走れ歌謡曲と数多くのビデオ動画が残っているのはこの方のお陰です。
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▼ナカムラさんです。格好いいなやはり。
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▼相模美さんです。歌の上手さだけで言えば、私はこの方だと思います。
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▼人造人間として生まれ変わったイサムさん。絶対一度はこの方の歌を聴くべき。低音で歌う盛り場かもめは全身に戦慄を......。
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▼京都からのくまきちさんが「やがて港は朝」を唄っています。

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▼風さん
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▼新潟市内在住の武中さん、声が半端になく素晴らしいです。声楽の方かと思いました。
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▼山形からの上野さん。10年ぶりに歌う歌だと。頑張りました。
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▼いつ聞いてもお母さんの歌は上手い。母あっての幸子さんということでしょうか。
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▼最後に皆で「不如帰」を斉唱しています。
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▼記念写真のように見えますが、違います。「不如帰」を唄っています。涙が出て大変でした。
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以上で公式的な(?)スケジュールはすべて終わりました。来年のご命日を約束して解散です。つつがなく、滞りなく、すべてが楽しく有意義に終わったことを心より嬉しく思います。皆様どうもありがとうございました。
余談:その後、少額ではありますが、皆さんからのお香典を供えるためにもう一度ご実家に戻り、17時頃、大雨の中お墓に寄ってから東京に帰ってきました。お墓が本当にきれいに掃除されていたので、改めて石川さんご夫妻に感謝しました。

 

幸子の東京暮らし編 .........第11回東幸会

2017年10月22日

 10月21日は幸子さんの誕生日でした。それを記念して第11回の東幸会が都内で開かれました。今回は幸子さんの東京暮らしの跡を探ろうという企画です。これは歌手としてではなくかなりプライベートな性格が強くて、幸子さんからも「恥ずかしいから、もうやめて」と言われそうなイベントでした。

各場所の特定には元東京後援会の河村様にご協力をいただきました。ありがとうございます。

 

▼ 当初の計画していたコースです。クリックすれば、拡大されます。

 ① 出発地JR田町駅 ② 三田自動車教習所 ③ 田町マンション(3番目の住い)

④ 新井利昌先生のレッスン室 ⑤麻布十番駅 ⑥ 三田綱町ハイツ(2番目の住い) ⑦ 最初に住んだアパート ⑧ スーパーフェニックス ⑨ 東京タワー ⑩ 浜松町駅
三田聖地巡礼

 ▼ このイベントのために京都や長野等の遠方からもお越しいただきました。それ程皆さんが期待をしていたことですし、何もなければ、本当に楽しくて快適な聖地巡礼になるはずでした。しかし……

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 ▲ 超大型台風21号です。幸子さんのお誕生日の日の天気図です。東京は一週間の間ずっと雨でしたが、今日は台風の接近に伴い、一段と強くなっています。
 
 ▼ 今日の出発地JR田町駅です。幸子さんの東京暮らしで最も利用頻度が高かった駅といえば、間違いなくこの田町駅っだったでしょう。田町駅は今も変わることなく昔の姿を保っています。
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▼ 何のことはありません。国道15号(第一京浜)を下り方向でゆっくりと歩くだけです。傘を差しても体がじわじわと濡れてきます。
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 ▼ あっという間に着きました。三田自動車教習所の跡地です。もはや昔の面影は欠片もありません。今では33階の高層ビルに建て替えられています。

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▼ これだけではあまりにも寂しいので、昔の写真で当時の姿を振り替えてみましょう。
                              (写真提供:河村様)
幸子さんは抜群の運動神経で一度もテストに滑ることなく最短で運転免許を取りました。検定に合格したのが1987年12月11日、同月24日に免許が交付されました。当日は木曜日だったので、走れ歌謡曲のパーソナリティーの仕事、と浅草の松屋でショーがあり、それが終わってようやく免許証をもらえました。
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 ▼ さらに国道15号を下ります。ゆーきちさんです。

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▼ 高輪郵便局が見えたら、道路を横断。郵便局の裏側に回ると、ありました、昔のままの姿で田町マンションが雨に濡れています。ここが幸子さんの三番目のお住まいです。
 クラウン芸能からホリプロに移籍するときに幸子さんが心機一転の意味で引越を決めました。しかしお金がなくてホリプロから50万円の借金をしてようやくこのマンションに引っ越すことが出来ました。1985年10月のことです。
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▼ あまりにも強い雨で狼狽の色を隠せない風さんです。その後ろに見える赤いレインコートが例の晴れ女です。

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 ▼ それでも雨の進軍は続きます。次の目的地は魚籃坂下にある新井先生のレッスン室です。国道15号と並行している国道1号に向かうためにはこのきつい坂道を登らなければなりません。
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  ▼ 階段を登り切ると、公園の道です。

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▼ その名も幽霊坂です。このままだと私達が幽霊になりそうです。
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 ▼ 新井利昌先生のレッスン室です。レッスン室は一階で三階が先生のご自宅です。森昌子、瀬川瑛子、島津亜矢、石川さゆり……、数えきれないスター達がここで先生のレッスンを受けました。
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  ▼ 下積み時代の幸子さんも毎日30分間をこの小さい部屋で練習をしました。デビューしてからも毎週1~2回はここを訪れました。

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▼ 国道1号を下りの方向にしばらく進むと麻布通りと分岐となるので、そこを右折です。雨がひどいので、霧がかかっているように霞んでいます。
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▼ この道を10分ほど進むと麻布十番駅に着きます。幸子さんがよく使っていた駅なので、行ってみたかったですが、今回は省略することにしました。
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▼ 道路の右側には首都高2号線(目黒線)が走っており、その下には川が流れています。ここをくぐります。
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▼ この橋を渡って高速道路の下を抜けると、右側に古いマンションが見えます。
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▼ ここがマンションの入口です。さすがにデビューしてからもお風呂なしで共同トイレのぼろいアパートに住み続けるには無理があったでしょう。デビューした2か月後にこのマンションに引っ越してきました。ここでは1979年3月から田町マンションに引っ越しをする1985年10月まで住みました。

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▼ エレベーターも昔のままです。

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▼ 幸子さんもこのエレベーターに毎日乗ったはずです。
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▼ うす暗い廊下です。
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▼ この部屋が幸子さんの住んだ部屋です。1Kの小さな部屋です。お風呂とトイレがついているだけで広さは前の住いとあまり変わりません。
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▼ ベランダとその横の小さい窓は含まれず、その隣の窓だけが幸子さんの部屋です。酒場すずめがヒットしてからもこんな狭い部屋に住み続けていました。
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▼ この部分です。
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▼ 今度は最初に住んだアパートに向かいます。橋は渡らずに、そのまま戻りの方向に向かいます。しばらく歩くと、慶応義塾大学が見え、また国道1号にぶつかります。
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 ▼ 着きました。国道を渡ってすぐのところです。上京をした1977年3月から1979年の3月まで住んだアパートです。当時の家賃は18,000円でした。
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▼ 私が皆さんに説明をしている場面です。
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▼ 中を覗くとこんな感じです。幸子さんも毎日この木造の階段を上っていたはずです。
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▼ 下駄箱です。
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▼ 国道に戻り、登り方向に向かうと、すぐ左折することになり、そこに幸子さんがアルバイトをしたスーパーフェニックスがあります。残念ながら、8月で閉店となりました。
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▼ このままでは寂しいので、別の日に撮った写真です。この店で幸子さんはデビューするまで時給400円で毎日12時間のアルバイトをし続けました。デビューしてからも収入があまりなかったので、しばらくやり続けましたが、どうしても安定的に仕事が出来なくなり、辞めさせられました。
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 ▼ スーパーから見える東京タワーです。幸子さんも毎日眺めていたはずです。田舎から家族が来るとよく案内したところです。ここにはぜひ皆さんと一緒に上ってみたかったのですが、雨のせいで中止となりました。
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  聖地巡礼はここまでとし、これからはカラオケ会となります。全員タクシーで浜松町駅の近くのカラオケ屋さんに向かいます。
▼ まあ、こんな感じです。一番奥が京都からのくまきちさん、その右の白い方が長野からのまさまささんです。
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 ▼ あとはいつものように飲みながら、歌いながら、しゃべりながらの時間です。もちろん幸子さんの歌が中心となります。
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 ▼ 楽しい時間もそろそろです。〆として不如帰の斉唱です。
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▼ 最後にはおまえと生きるではなく幸子と生きるの斉唱です。
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▼ 俺は幸子と幸子~と生きる~♬♪♩
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▼ あとはいつもの飲み会です。奥の方からくまきちさん、まさまささん、ゆーきちさん、晴れ女、相模美さんです。
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▼ 半点さんアリヨンさん、風さんです。
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 台風21号がやって来るという怖いニュースで宴会もそこそこにお別れを告げることになりました。まさまささんは高速バスでくまきちさんは新幹線で急いで帰るということです。大変な一日でしたが、それでも廻り切れたので、本当によかったです。以上で見ていただいたように、幸子さんの人生は決して華やかでも楽でもなく、苦労に苦労を重ねたものというのがわかります。そういう意味で今日のお天気はこのイベントに相応しかったのかも知れません。

くまきちさんには豊橋で新幹線が停電で停車、もう一泊の車中泊がプレゼントとして与えられました。皆さんお疲れ様でした。

第13回東幸会

                                                    

 

  平成30年7月1日 横浜にて