幸ちゃんコスモス”が満開です! 文責 武中秋一
“幸ちゃんのホームページ愛読者の皆様へ” |
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幸ちゃんの愛したコスモス。 秋に幸ちゃんの顕彰碑を訪れられた方は、すぐに思い出される事でしょう。顕彰碑の隣の畑に咲いているピンク色の美しいコスモスを。彼女が大好きだった花、それは、“コスモス”と“カサブランカ(百合)”だと、お母さん、鈴木一子さんから聞いています。 さて、ここからは、“幸ちゃんコスモスプロジェクト”の今日に至る経緯等についての文章ですので、興味のない方は、写真だけをご覧いただいて読み飛ばして下さい。 約2年前の春に顕彰碑を訪れた長岡市の小山良夫さんと佐藤清美さんが、お母さんから、“庭に咲いた幸子の好きだったコスモスの種です。”と託されました。その種が紆余曲折を経て、今年、佐藤さんの実家の畑で本格的に栽培して頂いた結果、美しく開花しました。 写真をご覧下さい。見事な“幸ちゃんの微笑み”ですよね。全体で7畝と伺っています。佐藤さんとコスモスが写った写真をご覧ください。2メートル以上ですね。 実は、コスモスは、順調に育ちすぎると、風に弱く、倒れてしまいます。今回も多くの畝のコスモスが折れ曲がり、お二人が、一生懸命倒茎防止の作業をして下さいました。本当に有難うございます。 この種は、小山さんから、千葉県の澤田東幸会会長と八王子市のゆーきちさんにも分けて頂いています。そして、同じ気持ちで“幸ちゃんコスモス”を育てて頂いています。お二人にも心から感謝申し上げます。 更に知り合いの方々に育てて頂くと同時に、以前から幸ちゃんの心に沁みる歌声と彼女の事跡を若い世代に受け継いでいきたいと切望している小生は、この種を“幸ちゃんコスモス”として、地元の小中学校の生徒が育て、若い世代に彼女の事を代々語り継いでもらいたいと考え、村上市に関係する学校関係者や市会議員等の方々にお話をしてきました。残念ながら、小生の力不足で未だその構想は実現していません。が、勿論、全く諦めた訳ではありませんので、現在も手探りで進行中です。 最後になりますが“プロジェクト”という形で、村上市民の参加を得て、後世に“幸ちゃんコスモス”を広げる活動を何とか結実させたいと思っていますので、引き続きご協力をお願い申し上げます。 |
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村上幸子生誕60周年及びデビュー40周年記念イベント 1/5
2018年10月20日~21日
私が一週間の海外出張から帰ってきたのは金曜日の夜7時、留守中に溜まっていた緊急の仕事を急ぎで処理してから、準備しておいた荷物を車に積んで新潟に向かったのは深夜2時半過ぎ。今回も動画を撮って残し経ったのだが、今の私にそんな余裕はない。残念ながら今回は撮影を断念せざるを得ない。それよりもイベントの進行に専念することを優先した。徹夜で車を走って幸子宅に到着したのは土曜日朝9時過ぎ。すでに数人の先客が陣取っていた。 |
イベント参加メンバー紹介 | 以下順不同敬称省略ネット上のHN優先 |
新潟県 | |
▲お母さん | |
▲幸子 | |
▲伊藤 | |
▲武中 | |
▲なべちゃん | |
北海道 | |
▲藤川 | |
▲ミエ子 | |
栃木 | |
▲石川 | |
▲雅子 | |
千葉 | |
▲風 | |
東京 | |
▲ASKA | |
▲MARI | |
長野 | |
▲まさまさ | |
岐阜 | |
▲ナカムラ | |
静岡 | |
▲尾入 | |
大阪 | |
▲坂本 | |
▲典子 | |
徳島 | |
▲たかやん | |
愛媛 | |
▲竹平 | |
大分 | |
▲イサム | |
▲お花 愛媛 Seiji | お花 匿名のファン |
▼到着して挨拶を交わして早速持ち込んだ投影機材の設置と調整にかかる |
▼その間皆さんは寛いでお茶を飲みながら、久しぶりの再会を懐かしんでいる。風さんとなべちゃんは一足先にお墓参りに行っている。 |
▼何と先月生まれたばかりの幸大ちゃまが私達に披露された。鈴木家の大事な大事なお世継様である。 |
本来なら機材の設置が終わったら、四幸会のメンバーとお墓の掃除にいく予定だったが、すでに四幸会のメンバーだけで済ましてきたという。やることがなくなったので、しばらくしてから村上市内で昼食をとることにした。その時........... |
▼何と今回はやむを得ない事情によって参加できなかった四幸会のSeijiさんからとても立派なお花が届いた。幸子さんの大好きなコスモスの花だ。皆が歓声を上げて大感動。 |
▼村上市内の飲食店千度里 。小さく映っているここの女将さんも幸子さんのファン。 |
▼食事を待つ皆さん |
▼料理が来た。だ~また丼。だ~またとは言うことなし、当たり前でしょうなどの意味らしい。要するに食べてもらって文句は言わせないという意味だろう。 |
▼さすがに文句なしに美味しかった。皆さん全員完食でご満悦。ここはいつも皆さんにお世話になっているとのことで全員分の食事代を私が気前よく払った。 |
▼食事後は女将さんに勧められて近くの酒蔵を見学に。 |
▼今日一泊お世話になる ホテルに着いた |
▼ 皆さんチェックイン後部屋割りをしてからロビーでお寛ぎ。このまったり感が何とも言えない。まだ到着していないメンバーと連絡を取り合う場面も見られた。 |
▼海の彼方に見える島が粟島である。幸子さんが亡くなる数か月前にロケをした場所でもある。 |
▼尾入さんが到着した。 ネットではお会いしているが、直接お目にかかるのはこれが初めて。若く見えるが、もうすぐ80歳になる方だという。You tubeなどのネットにもよく投稿されるし、Lineも使いこなしているし......、かなりお若い方だと思っていただけに意外だった。気さくでやさしくて、何よりも声が良くて元気な方である。 |
▼尾入さんは座っているお母さんの手をキュッと握ってはお母さんを見上げながら涙ぐんで「お母さん幸子さんを産んでくれて本当にありがとう」と何度も何度も言った。その尾入さんのあの眼差しを私は一生忘れられない。 私にも手を握ったまま頭を深々と下げて「ありがとう、幸子さんのことを教えてくれてありがとう」を何度もお礼を言われた。 |
▼そんな尾入さんの横顔をこっそり描いてみた。 |
▼次から次へとメンバーが到着し、お食事の時間まで各自自分の部屋でゆっくりと。 |
▼幸子さんが生前「本当に綺麗だ」と言っていた正しくその瀬波の夕陽である。 |
部屋内の露天風呂に浸かったり、夕陽を眺めながら散策をしたり、部屋で長旅に疲れた体を休ませたり、一所懸命に皆の似顔絵を描いたりしているうちに、宴会の時間は刻々と近づいて来ている。 |
村上幸子生誕60周年及びデビュー40周年記念イベント 2/5
2018年10月20日~21日
18時2階の宴会場佐渡の間にて |
▼MARIの司会でいよいよ前夜祭の宴会スタート |
▼お母さん差し入れの山田錦の紹介 |
▼これ |
▼東幸会長風さんのご挨拶 |
▼お母さんのご挨拶 |
▼▼自己紹介 |
▼尾入さんは色々な思いがいっぱいあったので、自己紹介時間がが少々長くなった。 |
▼それぞれの自己紹介 |
▼▼その他の宴会の様子 |
▼この二人は釣りの話しで盛り上がっている様子 |
▼いつも撮影係を務めているため自分自身は滅多に登場しない男 |
▼伊藤さんの手元にはいつも一眼レフカメラが......... |
▼中にはすでにかなり酔いが回っているカップルも........ |
▼男なら茶碗酒だ。 しかし...... |
▼その隣にはお酒の匂いだけでも倒れるという男が......... |
▼幸子さんへの尾入さんの思いは尽きることがない。 |
いくら時間が経ってもいくら飲んでも熱い雰囲気は一向に収まらず、お酒がなくなってお代わりをすること数回、皆、長旅の疲れはいずこへ.......。幸子さん思いの情熱のためか、それともそれほど仲間達との出会いが嬉しかったのか。しかしいつまでもこういう時間を引き延ばしているわけにも行かない。明日があるのだから。 時計が21時を回ってからもしばらくの間宴会が続いた。未練は残るが、東幸会長とお母さんの挨拶で本日の宴会はようやく〆となった。 |
村上幸子生誕60周年及びデビュー40周年記念イベント 3/5
2018年10月20日~21日
21日09時幸子宅にて |
▼ホテルで朝食後、チェックアウトをしてから幸子宅に全員集合 |
▼集まった皆さんは次から次へと幸子さんの仏前に手を合わせた。Seijiさんが送ってきたコスモスの花がお仏壇の前を綺麗に飾っていた。 尾入さんは 「さっちゃん、ごめんね、こんなに遅くに来て本当にごめんね」と号泣をした。生前の幸子さんに何もしてあげられことへの自責の念と悲しみが一気に込挙がってきたことであろう。周りにいた私達ももらい泣きとなり、涙が止まらなかった。 でも、もう大丈夫ですよ、尾入さん。こうやってお誕生日のお祝い会に幸子さんと一緒にいられたんだから.......。 |
▼Seijiさんのお花 |
▼尾入さんのお花と手紙 |
▼遺影碑の前に捧げられていた匿名にお花 |
▼ケーキが届いた。幸子さんの似顔絵が美しも悲しい......... |
▼前日に設置された大型のスクリーンにいよいよハッピーバースデイトゥさっちゃんが流れた。 |
▼皆が手拍子で画面の音楽に合わせてお祝いの唄を歌った。お母さんはずっと泣き続いていた。 |
▼皆が拍手をする中、お母さんにケーキを切ってもらう。はずだったが、涙が止まらないので、なかなか先へ進まない。結局隣にいたMARIが手を添えてようやくケーキを切ることが出来た。 |
▼大阪から来られた坂本ご夫妻だ。いつもはお花だけを供えてこっそり帰る方だが、今回初めてイベントに参加された。 |
▼ケーキはその場にいた皆でいただいた。せっかくのお祝いの日だから、泣きながらも雰囲気は明るかった。ケーキを食べ終わった頃、何と北海道から藤川ご夫妻が訪れた。 |
▼自作のさっちゃんグッズを持参して二日前に自宅を出て車とカーフェリーの乗り継ぎを繰り返しながら、ようやくたどり着いたということである。 |
▼ケーキはすでに食べつくしたので、お墓参りに持っていくために別途用意したケーキを藤川ご夫妻の分にすることにした。 約一時間をお茶を飲みながら談笑をした。スクリーンにはずっと幸子さんの唄がカラオケで流れていた。写真は尾入さんが幸子さんに贈る手紙。 |
村上幸子生誕60周年及びデビュー40周年記念イベント 4/5
2018年10月20日~21日
21日10時30分幸子のお墓にて |
▼お墓参りの準備を整える。前日四幸会のメンバーがお掃除は済ましてあるが、それでも一応...... |
▼MARI、石川さん、風さん等皆さんがお持ちしたお花を飾って、お墓用として別途用意してきたケーキも供えた。蝋燭の火もつき、お線香の煙が舞を舞っている。そして..........、幸子さんの唄う「不如帰」がエンドレスで流れている。 |
▼一人一人のお参りが始まった。それぞれの手にはお線香が持たれていた。ナカムラさんと尾入さんはまたも幸子さんを前に涙を流した。 |
▼雰囲気は粛然であった。皆のお参りが終わり、最後にお母さんの番となった。今日で60歳のお誕生日を迎えたそこに眠っている愛娘をを悲しげな眼で見守る母親の胸中とはどんなものだろう。お線香をあげては何度も何度も手を合わせるお母さんを見て私達も涙また涙。私は涙をぐっとこらえてこうして一人そしてまた一人の姿を残すべく、シャッターを切るだけで精一杯だった。 |
▼さあ、幸子さんがケーキを食べ終わるまで静かに待ってあげましょうと私が言った。皆さんはホッとした顔で笑いを取り戻した。きっと幸子さんも喜んでくれているだろうと思ったからであろう。 |
▼そして今日この時間この場にいた私達の姿をこうして残した。 |
村上幸子生誕60周年及びデビュー40周年記念イベント 5/5
2018年10月20日~21日
21日12時飲食店花みずきにて |
▼お誕生日のお祝い会とお墓参りが終われば、やるべきことはやったということになる。あとはなごりを惜しんでの送別会が「花みずき」で開かれた。 |
▼東幸会長風さんのご挨拶 |
▼ お母さんのご挨拶。いつもながら、挨拶のおしゃべりがお上手。 |
▼武中さんの乾杯音頭 |
▼料理はこんな感じ |
▼しばらくはお食事会 |
▼▼あとはカラオケ会が続く |
▼イサムさんの盛り場かもめは実にうまい |
▼皆さんそれぞれ幸子さんの唄を中心に...... |
▼ナカムラさんの「女の雪国行進曲」も絶対に一度は聴くべき |
▼東幸会はまさまささんをエースとして出すが、存在感は薄い。 |
▼さすがに幸子の母である。 |
▼ お母さんのお礼のご挨拶 |
▼不如帰斉唱 |
▼後書き |
こうして「村上幸子生誕60周年及びデビュー40周年記念イベント」は幕を閉じた。 北の果北海道の地から車とフェリーの乗り継ぎを繰り返しながら二日間をかけて駆けつけて来た藤川ご夫妻、いつも幸子さんにお花を供えてはこっそり帰っていた大阪の坂本ご夫妻がこのイベントに参加されたのが何よりも印象的だった。ここでは書き忘れたが、今は亡き歌手藤井きよしさんの奥様やお嬢様も訪ねてこられた。そして尾入さんの涙と涙....... 出会いは感動と喜びを呼び、それがやがて絆となり、縁と変わっていく。そこから愛が芽生え感謝の気持ちでいっぱいになる。その輪の中心にはいつも幸子さんがいる。 |
▼参加者達 (クリックすると拡大) |
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第29回忌の集い
平成30年7月22日
お墓参りとビデオ上映の映像 |
幸子の東京暮らし編 .........第11回東幸会
2017年10月22日
幸子さん第28回忌後記 Ⅰ
2017年7月22日
幸子さんの第28回忌後記 Ⅱ
2017年7月22日
ホテルではカラオケの予約が出来なかったので、近くのスナックで第2次会をやることにしました。これは東幸会の第9回の会合を兼ねることにします。店内はとても暗くてうまく写真を撮ることが出来ませんでした。画質が悪いのですが、どうかご勘弁を.......。 第2次会は何を言うこともありません。皆さん幸子さんの歌を歌いまくっています。それにしても皆さん歌が上手すぎてビックリです。上手さだけでは優劣が付け難いのですが、個性から言えば、私個人としては断然岐阜から来られたナカムラさんに軍配です。武中さんもとてもいい声で素晴らしかったです。MARIはイサムさんの声に惚れ惚れです。ここはどうもこうもないので、説明はほどほどにして写真を羅列することにします。 |
▼まずはゆーきちさんと相模美さんの「みちのくしぐれ」からです。 |
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▼全体の様子 |
▼東幸会の会長風さん |
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素晴らしい声の持ち主武中さん |
▼MARIがこの方の声に魂を抜かれています。その声量と声の響きは本当に一度聴けばわかります。詳しくは昨年の第27回忌の記録を参考にしてください。 |
▼そのド迫力に皆が固唾を呑んで見守っています。 |
▼東幸会のマドンナ相模美さんです。 |
▼まさまささん |
▼さすがに幸子さんのお母さんです。上手すぎる!! |
▼Seijiさん 放浪記が専門です。 |
▼この方が個性満点のナカムラさんです。もう写真だけでもおわかりでしょう。 |
▼ゆーきちさん頑張って |
▼永井裕子の歌に関してはこの伊藤さんの右に出るものなし |
まあ、一応こんなもんかな。ホテルの門限が23時というのと、明日は幸子さんのご命日なので、名残惜しいですが、今日はここまでということになりました。天気予報では雨となっていましたが、ホテルに戻るまではかろうじて持っていました。 |
幸子さんの第28回忌後記 Ⅲ
2017年7月23日
23日になりました。幸子さんのご命日です。昨夜から降り出した雨はかなり大降りになっています。ホテルでバイキングの朝食を取ったあと、お母さんは武中さんと一緒に一足先にご自宅に帰りました。私は色々後片付けと精算のことなどがあるので、もうしばらく残っていました。 あ、そうでした。私の携帯電話に村上氏にお住いのファンの一人の方から本日訪問は出来ないが、せめてお香典でも送りたいということでお母さんの連絡先を確認する電話がありました。私もその方の連絡先をいただきました。 |
▼ご自宅には次から次へと車が到着しています。写真ではよくわかりませんが、かなりの雨が降り続けています。皆さんは部屋で盛り上がっています。 |
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▼初めてのお客様を案内するため、私は一人で外で待機しています。 |
▼真ん中のお二人が大阪から訪ねて来られた坂本さんご夫妻です。何と昨夜に泊まった宿がはまなす荘の隣のホテルだったそうです。お声をかけていただければよかったのに.......。 |
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▼これが坂本さんご夫妻がお持ちになったお花です。お手紙が添えられています。これを遺影碑に供えてお参りだけをしてそっと帰ろうしたらしいです。 |
▼人数が多いので、お部屋が満杯になって、廊下までぎっしりです。 |
▼四幸会を代表してイサムさんが挨拶を述べています。実はこれの前にお母さんと東幸会の風さんも挨拶を述べましたが、撮りそこないました。 |
▼大阪後援会長の井戸さんが何かを考えています。この方のお陰で幸子さんの写真やテレビ録画の資料が数多く残っています。 |
写真はありませんが、最後に皆で「おまえと生きる」ならぬ「幸子と生きる」を合唱しました。天候の関係上計画していたお墓参りは中止となり、坂本さんご夫妻とSeijiさんはお帰りになることになりました。たかやんさんはSeijiさんを空港まで送りに行きました。他の皆さんは予約してある村上市内のカラオケ店に向かいました。 ▼何のことはありません。昨夜の2次会と同じです。皆さん心行くまで幸子さんの歌を歌いまくっています。この宴会は12時前に始まって15時過ぎまで続きました。 |
▼取り寄せのお寿司を食べながら、歌を歌いながらのゆったりの時間です。 |
▼ゆーきちさん |
▼イサムさんと京都からのくまきちさん、岐阜からのナカムラさん。イサムさんはソフトドリンクなんかは飲みません。ひたすらビールです。 |
▼風さんと相模美さん |
▼選曲中のナカムラさん |
▼長野からのまさまささん。いつもはでっかいバイクに乗って来られる方です。 |
▼伊藤敏郎さんが永井裕子の北陸本線冬の旅を唄っています。幸子さんの3年間分の走れ歌謡曲と数多くのビデオ動画が残っているのはこの方のお陰です。 |
▼ナカムラさんです。格好いいなやはり。 |
▼相模美さんです。歌の上手さだけで言えば、私はこの方だと思います。 |
▼人造人間として生まれ変わったイサムさん。絶対一度はこの方の歌を聴くべき。低音で歌う盛り場かもめは全身に戦慄を......。 |
▼京都からのくまきちさんが「やがて港は朝」を唄っています。 |
▼風さん |
▼新潟市内在住の武中さん、声が半端になく素晴らしいです。声楽の方かと思いました。 |
▼山形からの上野さん。10年ぶりに歌う歌だと。頑張りました。 |
▼いつ聞いてもお母さんの歌は上手い。母あっての幸子さんということでしょうか。 |
▼最後に皆で「不如帰」を斉唱しています。 |
▼記念写真のように見えますが、違います。「不如帰」を唄っています。涙が出て大変でした。 |
以上で公式的な(?)スケジュールはすべて終わりました。来年のご命日を約束して解散です。つつがなく、滞りなく、すべてが楽しく有意義に終わったことを心より嬉しく思います。皆様どうもありがとうございました。 |
余談:その後、少額ではありますが、皆さんからのお香典を供えるためにもう一度ご実家に戻り、17時頃、大雨の中お墓に寄ってから東京に帰ってきました。お墓が本当にきれいに掃除されていたので、改めて石川さんご夫妻に感謝しました。 |
放浪記 池上編
2017年6月25日
前回の放浪記新宿の旅からちょうど4か月が経ちました。本日、あのとき宿題として残しておいたもう一つの「放浪記」のロケ地である池上梅園に行ってきました。 御周知のとおり、池上梅園では東映が制作したプロモーションビデオのロケが行われました。平成元年5月のことです。 私の住まいからとても近いので、私一人で自転車で行くつもりでしたが、どうしても一緒に行きたいというやつがいたので、仕方なくタクシーで.......(ぐすん) 池上梅園は読んで字のごとく池上にある梅園のことです。池上と言えば、日蓮宗の総本山である本門寺、その門前町の雰囲気が何とも言えません。 |
▼ 池上本門寺の境内 (ウィキペディアより) |
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▼ 入口 入場料は100円です。 |
▼ では、そろそろ放浪記の探索です。 これがカラオケの最初に登場しますが、残念ながら、ここは池上梅園ではなく、鹿児島市の古里公園で す。パスします。 |
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▼ まずはここから |
▼ 彼の日の幸子さんが歩いたあの場所にMARIに立ってもらいました。 |
▼ 多少形が変わっていますが、この樹がその樹です。 |
▼ ここが茶室「聴雨庵」です。 |
▼ 当時の垣根は今は撤去されています。聴雨庵の全景 |
▼ 右の方に回ってみます。 |
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▼ 井戸です。 |
▼ 当時の八つ手の木が枯れてしまったのか、松の木に植え替えられています。 |
▼ 水琴窟です。これでカラオケに映っている風景は終了です。 |
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▼ あとは残りの池上梅園の景色をどうぞ 和室です。有料で茶道が楽しめます。 |
▼ 静かな道です。 |
▼ 池 |
▼ この階段を登り切ったところで親子の狸を4匹見つけました。あまりにも可愛くてしばらく見惚れていました。刺激をしたくなかったので、写真は撮りませんでした。 |
幸子さんの所縁の地の探索が終わると、急にやる気がなくなってしまいました。 あとはほどほどにして退散です。 でもこれで幸子さんの足跡をもう一つ辿れたので、非常に嬉しく思います。
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第7回東幸会 Ⅰ … 不如帰の旅東京編
2017年2月25日
第7回東幸会 Ⅱ … 放浪記の旅新宿編
2017年2月25日
京王線で八幡山駅から新宿まで、大江戸線に乗り換えて中井駅で降りました。 中間目的地は林芙美子さんのお墓がある功時運寺です。 |
▼ 静かな住宅街を15分ほど歩いて功運寺に着きました。周りは由緒ある大きなお寺がいくつも立ち並んでいます。お寺の町という感じです。 |
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▼ 功運寺もとてもきれいなお寺です。芙美子さん以外にも数々の名士の方のお墓があります。それを見て回るのも一興あることですが、今回はパスです。 |
▼ 林芙美子さんのお墓です。 |
▼ 彼の日の幸子さんもこうやってお墓参りに来ていました。 |
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▼私たちもお参りです。 |
▼幸子さんとはあまり関係のないことですが、これが吉良上野介及びその一族のお墓です。彼の討ち入りの際に打たれた人達が眠っています。 |
▼ 今度は哲学堂公園を目指します。15分くらい歩いて妙正寺川が見えたら、もうすぐです。 |
▼ 哲学堂公園に入りました。 |
▼この池で鯉の魂が云々という方がいました。さすがに哲学堂公園です。 |
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▼ 理想橋です。ちょっとだけですが、カラオケにも映っています。 |
▼ 幸子さんが哲理門の前に立っています。 |
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▼ 今でも昔のままでしょう? |
▼ ここでも記念写真です。 |
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▼ 六角塔です。 |
▼ 宇宙館です。 |
▼そして鬼神窟です。幸子さんが女の子に放浪記を読んであげていたその場所。 |
▼ 今は改修工事のために石段が取り除かれています。 |
▼ 遠景です。 |
これでロケの場所はすべてクリアしました。あまり時間がないので、15分間の休憩のあと、次を目指します。かつて幸子さんも訪ねたことがあります。 |
▼ 妙正寺川沿いを歩いて中井駅に戻ります。林芙美子記念館(旧邸)はその途中にあります。 |
▼ 林芙美子記念館(旧邸)です。 |
これで思い残すことはもうありません。歩いた距離も約12kmで程よい疲れです。 |
▼ 西武新宿線で新宿に戻りました。コリアンタウンを少し散歩してから、焼肉で楽しいお食事会です。 |
食事会は2時間半にわたって楽しく和気藹々とした雰囲気で行われました。料理もおいしかったです。天気もよくて最高の一日でした。幸子さんとずっと一緒に歩いていた気がします。 まさまささんのバスの時間が夜9時だというので、お食事後には駅の近くの喫茶店でゆっくりと時間をつぶしました。そして新宿駅でお別れです。皆さんお疲れさまでした。 |
八海さんのお便り
2016年8月14日
幸子さん27回忌法要後記 1/3
2016年7月23日
まだまだファン歴が3年程度の私が出しゃばるのも変ですが、力のある限り、幸子さんの記録を少しでも多く残そうと頑張っています。幸子さんのこともさることながら、こうやってファンたちが集まって幸子さんを偲ぶのも貴重な記録の一部ではないでしょうか。そういう活動もまた特集として残していきたいと思っています。 今日は幸子さんの27回忌の日です。約40人の方が集まって幸子さんを偲びました。その記録をここにできる限り詳しく残したいと思います。その場に来られた方でも誰が誰なのかよくわからないこともあるでしょうから、復習の意味でもう一度よく見てください。 この記録はあくまでも私が個人的に綴る記録で、一切公式的なものではありません。個人の感想文程度で理解していただきたいと思います。 写真協力: ゆーきちさん たかやんさん
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新潟行きの日程はいつもながらきついです。 深夜3時に東京を出発、8時に着き、近くで時間調整をしてから9時に幸子さん宅に到着。もうこんなにたくさんの車が来ています。 前を走っているのが幸子さんの姪っ子である舞子ちゃん。「さっちゃん物語」でもおなじみの、幸子さん似の美人です。
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約40人の方が来ています。自分で言うのも変ですが、この中で一番顔が広いのが他でもないこの私です。東幸会はもちろんのこと、四幸会、長野、大阪、山形、新潟県内、昔からの後援会の方にまんべんなく顔が通っています。 今日の進行役は吉原さんですが、お年寄りであるので、その補佐と、円滑な進行のための協力をお母さんから予め頼まれています。 お坊さんが10時に来るということで、自己紹介や挨拶、雑談をしながら時間を過ごしています。 |
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お坊さんが来ました。遺影碑の前に集まって挨拶を交わしています。 3年前に住職を受け継いだというお若い坊さんです。 片隅には新潟日報や村上新聞の記者さんも来ています。
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読経をしているお坊さん、般若心経から始まり、約5分で終わりました。 。 |
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法要が終わりました。私は早速皆さんに芳名録を書かせたり、会費を集めたりしています。何しろ、40人もの人数ですから、テキバキ熟さないと間に合いません。同時に一人でも寂しい思いをして帰ることのないように、細心の注意を払います。 お坊さんの前に座っているのが舞子ちゃんです。 |
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その後はたにがわやでお食事会です。 村上市内までの移動なので、一行にはぐれる人がいないかチェエクにまたチェックです。 |
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栃木から来られた石川さんご夫妻が見えなかったので、慌てて探しに行きましたが、無事に到着して、いよいよ宴会スタートです。 司会は例の吉原吉蔵さんです。幸子さんのファンとして是非覚えいていただきたい方です。そのウェイトは斉藤後援会長にも全く引けを取らないくらいです。 |
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前から見た宴会場の全景です。 手前に見える青いTシャツの方が栃木からの石川さんで、新たに東幸会に加わることになりました。その列にいる帽子の方がゆーきちさん、その隣の女性が相模美さんです。その向かいに、たかやんさんが飛行機で来るSeijiさんを迎えるために新潟空港に行ってしまったので、奥さんが一人寂しく座っているのが見えます。一番奥の立っている方がお母さんです。挨拶をしている所です。
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挨拶を述べている斉藤康男後援会長です。第一順位で覚えておくべき方です。
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昔の後援会の元老の一人鈴木さんが乾杯、いや献杯の音頭を取っています。 鈴木さんの前に座っている青いジャンバーを着ている方が大阪後援会長の井戸清一さんです。 そして注目の的となる方が、手前の青いTシャツの方の隣の女性、そう、石川さんの奥様ですが、その呑みっぷりが半端ではないです。今まで無敵だったMARIにとうとう好敵手が現れました。グラスを手に持っている表情がもう尋常ではないです。因みに、ご主人は一滴も飲めない方でした。
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料理はこんな感じです。鮭やイクラなどがメインです。近くの三面川(みおもてがわ)が鮭の名産地であるため、村上市ではどこに行っても鮭料理です。 幸子さんはお魚料理は煮ても焼いても生でも一切食べませんでしたか、鮭だけは例外でした。 |
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自己紹介と幸子さんを知った切っ掛けを述べる時間です。山形から来た上野さんを先頭に全員にマイクが回ってきました。上野さんは今年の春、お母様を亡くしています。その間たかやんさんが新聞記者の取材を受けています。 この自己紹介時間が長いので、その間、私とMARIは皆様に持たせる引き出物の管理をしています。幸子さんの写真入りのハンカチを2種類用意しました。 |
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この写真は平成元年12月16日NHKの食堂で撮ったものです。 一緒に撮った写真も他にいくつかあります。後ほどアップしたいと思います。 この写真を撮ってからわずか半年後に幸子さんが亡くなると誰が想像をしたことでしょうか。オーラを放つかのように美しい幸子さんの笑顔が逆にやるせない限りです。 |
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この写真は総和61年10月4日、三条市で杉の子会主催の村上幸子ショーを行う前に、楽屋で取った写真です。私のお気に入りの写真です。 これは、写真以外でもビデオがあるので、やはり後程アップします。 楽屋での幸子さんの様子が見られるとても貴重な動画です。
ファンの皆様が幸子さんと少しでも長い時間を一緒にいられたらいいなという思いで作った細やかな私の気持ちです。
第一部終了 |
幸子さん第27回忌法要後記 2/3
2016年7月23日
では第2部です。2次会の会場は村上駅の近くにある「カラオケマイム」です。隣には一心という居酒屋があります。私たちは村上駅で佐渡島から来られた森川さんを見送って会場に向かいました。
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吉原さんの司会でカラオケ会が始まりました。私は曲を入れる当番です。皆さんに曲名を聞いて入力していきます。順番は私が任意で決め、できるだけ皆様の集中力が切れないように、メリハリがあって退屈しないように気を付けながら組み合わせました。 |
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第一番は東幸会のゆーきちさんにお願いしました。曲名は「雪椿の唄」目茶上手いので、安心して聴けます。 奥の方ではSeijiさんが三条住いの女性の方を一生懸命に口説いています。その列に長野の宮尾さんご夫妻が映っています。Seijiさんの向かいがイサムさん、まさまささん、八海さんです。 |
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出ました、デュエット「みちのくしぐれ」です。 幸子さんが地元でこの曲を歌うときにはいつも吉原さんがお相手でした。吉原さんはプロ並みに歌が上手い方です。実際にプロの歌手を目指したこともあり、地元ではカラオケの先生もしていました。 |
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今日は相模美さんが幸子さんの代わりの役を務めます。相模美さんも歌がとても上手い方なのですが、今日はさらに輝いています。まるで幸子さんの魂が乗り移っているかのような歌い振りです。見つめあいながらの歌で息もぴったりです。 |
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お母さんです。さすがに「幸子の母」と呼ばれるだけの実力です。曲名は「高千穂峡」
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たかやんさんの「不如帰」の熱唱です。もうすっかりたかやんさんの定番曲になりました。たかやんさんの「不如帰」は何故だか私達を幸せな気分にさせてくれるという評判です。さすがに周りにいる方が皆微笑みを浮かべながら聴いています。 |
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この方がイサムさんです。「盛り場かもめ」を歌っていますが、上手いも何もあったもんじゃありません。その声だけで周りを圧倒し、皆が固唾を呑んで、息もせず聴いていました。この顔の表情もよく見ておいてください。しかしその間にもSeijiさんの工作が休むことはありませんでした。
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東幸会の会長風さんです。最近関東でちょっと話題になっている「それなりに青い鳥」を歌っています。苦労をしただけに、さすがに感情が込もっています。 |
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藤井さんが「飛騨の龍」を歌っています。唯一のプロ歌手ということで皆耳を傾けていますが、手術をしたせいなのか、あまり元気がない感じです。
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予備新潟県人だと言われているSeijiさんが「放浪記」を見事に歌い上げています。皆さん、何でこんなに歌が上手いのでしょうか。
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魚沼からの八海山、いや八海さんです。
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上越市の進士さんも「不如帰」を歌っています。たまたまレンタルしたCDから「不如帰」を聴いてそのまま惚れ込んで幸子さんのファンになったそうです。それだけにとても真剣に歌っているのがよくわかります。
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いつもバイクに乗って長野からお墓参りに来ているというまさまささんです。この方も幸子さんが亡くなってからファンになったそうです。ところで何の歌を歌ったんだけ、ご免なさい、思い出せません。 |
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もう地面の関係上全部は載せられません。省略された方はご免なさい。宴会もそろそろフィナーレに向かっています。歌に自信がないからと遠慮していた栃木からの石川さんが「おまえと生きる」を熱唱しています。やはりかなりお上手です。 なぜだか聴いていた奥さんが苦笑いで首を横に振っています。よく聞き取れませんでしたが、信じない信じな~いと言っていたような気か?
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そろそろ終わりかな?と思っていた矢先に、工作(?)を済ましたSeijiさんが相手の方とデュエットで「不如帰」を申し込んできました。いきなりこれです。お二人とも幸せいっぱいのいい表情です。正しく幸子さんの「幸」でした。それにしてもこんな短い時間に・・・・・・、Seijiさんすごい~
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再び相模美さんの登場です。本当に今日はさえています、相模美さん。曲は都はるみの今ひとたびの〜Vaya Con Dios〜 | |
そしてまたゆーきちさんが登場し、鳥羽一郎の「縄のれん」を幸子さんバージョンで歌いました。 | |
最後の曲は吉原さんが歌った北島三郎の「山」でした。2時間にわたって皆さん、一糸乱れぬ雰囲気で楽しく過ごしていただきました。私もハーモニカ演奏を披露しようかと思いましたが、せっかくのいい流れを乱したくなかったので、遠慮しました。とにかく何もかもがよかったです。 ここまでがかなり長くなったので、いったん切らせていただきます。第3部は明日アップします。 |
幸子さん第27回忌法要後記 3/3
2016年7月23日
当初カラオケ会は予定されておらず、食事会が終われば解散することになっていました。わずか数日前に、私がそれを知って、それだけでさようならはないだろうと強く主張して急遽カラオケ会が決まったのです。それだけに私としては何が何でもカラオケ会を何事なく楽しんでいただきたかったのです。皆様のご協力のお蔭で無事に終わったことを心から感謝しております。
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カラオケ会が無事に終わったということで、私の肩の荷はかなり軽くなりました。さて次はお墓参りです。とはいっても、これも予定に組み込まれた行事ではありません。お母さんは幸子さんがいつも遺影碑のところにいるんだと思い込んでおり、お墓参りのことは軽視する傾向があります。 |
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写真には写っていませんが、私はお線香に火をつけたり、皆さんに虫よけスプレーをかけたり、お花を供えたりしています。余談ですが、お墓でお線香に火をつけるのは意外に大変です。またこんな藪の中ですから、蚊が雲のように集まってきます。その対策は絶対に必要です。 |
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お線香に火をつけました。お花も供えました。お花はMARIが用意して東京から持ってきました。すでに色々とお飲み物が備えているを見ると、私たちの前にお参りに来られた方いることがわかります。私たちもそれぞれお線香をあげて手を合わせます。 安らかに幸子さん・・・・・・。 |
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これで公式的な(?)行事はすべてこなしたことになります。 さて、これから計画されているのは第3回目の東幸会です。実は、風さんが消防職員協議会の方のコネを借りて瀬波に宿の予約を済ましてくれています。飲食店の予約も済んでいます。そのままホテルのチェックインをしてから、飲みに行けばいいことになっています。 でもせっかくこうやって集まっているわけですから、この機会を生かさない手はありません。それで県外から来た方を中心に宿の状況を聞きました。 たかやんさんは何と今日が、つまり幸子さんのご命日が奥さんのお誕生日だそうです。それで岩室に宿を取っているということ。Seijiさんは新潟市内に取ってあると、列車時刻を確認したら、19:30で最終便ということで残念ながら、お別れ。石川さんご夫妻は瀬波なので、OK、まさまささんも瀬波だから、大丈夫、イサムさんは村上市内なので、それくらいはタクシーで帰ればOK、ということで、先にチェックインを済まして予約の飲食店に集まることにして一旦解散となりました。 しかし、途中で問題が発生、当初は東幸会の5人と新潟の風さんの同僚の方2人の7人で飲食店の予約をしていましたが、増えている4人分の受付が出来ないということです。仕方なく、別の場所を探すことになり、時間がかかりました。結果的には事なきを得ましたが、そのため石川さんご夫妻を少々待たせてしまいました。 |
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瀬波はまなす荘です。ここで一日お世話になります。ここは新潟県市町村共済組合の提携先です。私たちは新潟県消防職員協議会の方のコネで激安で泊まらせていただくことになりました。設備も景色もサービスも申し分ないとても良い所でした。 |
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石川さんが待っているので、チェックインを済まして約束場所に急ぎます。その途中で見たのがこの夕陽です。幸子さんがとてもきれいだと生前に言っていた瀬波の夕陽です。その夕陽を眺めているシルエットの女性はMARIです。ゆーきちさんが撮影しました。 |
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ここが変更された場所です、酒処千歳。 場所が変わったということを伝えるべく、イサムさんとまさまささんへの連絡を試みましたが、なかなかうまく行かず苦労しました。でも何とか全員が無事に集まることが出来ました。
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余談になりますが、これが私たちの飲んでいた居酒屋の真ん前にあった「汐見荘」です。幸子さんが生前に何度もディナーショーや忘年会、親睦会でお世話になった所です。また幸子さん亡き後には何度にもわたってここで偲ぶ会が開かれました。是非一度は見ておきたいゆかりの場所です。 |
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皆さん、楽しく飲んでいます。奥では相模美さんが石川さんご夫妻としゃべっています。しばらくしてから、石川さんの奥さんがお酒で沈没です。おそらく疲れと緊張が原因だったのでしょう。
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私がまさまささんの話しを傾聴しています。向こうは向こうで盛り上がっています。一番奥の方に座っているお二人が例の消防職員協議会の方です。今回はとてもお世話になりました。間もなくしてMARIも沈没しました。 イサムさんの声の素晴らしさと歌の上手さが話題になりました。したら、イサムさんがスマートフォンで何かを見せてくれました。今日は来ていない四幸会の八十八さんが95点以上を狙っている幸子さんの歌のリストだそうです。我が東幸会にとどめを刺した瞬間でした。 |
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第4次会はスナックです。石川さんは奥さんが一人になっているので、先に帰りました。消防職員協議会のお二人も帰りました。ということでゆーきちさん、相模美さん、風さん、イサムさん、まさまささん、私の6人となりました。 先の居酒屋から近い「スナック杏」です。 |
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ゆーきちさんを始め、皆さん歌いまくっています。楽しくて仕方がないのです。 ゆーきちさんも相模美さんも、まさまささんも本当に歌が上手いのです。聴き惚れます。どんな歌でも上手に歌い上げます。 しかし……。 |
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この方の前にいると、ただの前座歌手です。いかなるテクニックも通用しません。その声だけですべてを制してしまうのです。どうにもなりません。 |
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相模美さんが熱唱しています。森昌子のようです。 | |
我が東幸会の会長風さんが少しでも名誉挽回をすべく必死に力を絞って例の「それなりに青い鳥」を歌っています。涙ぐましい熱唱です。 しかし……、 |
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こうやって簡単に蹴散らされます。見てください、あの顔。まるで教訓を与えているようです。歌というのはこう歌うんだよと。戦艦ヤマト、いやヤマモトに我が東幸会はなすすべなく撃沈です。
さて11時が回り、そろそろお開きです。とてもとても楽しかったです。いつまでもこうしている訳にも行かないことです。別れを惜しみながら、解散です。 |
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翌日の朝、再び幸子さんの所に戻ってきました。幸子さんはいつもこうやってほのかな微笑みを浮かべて私達を迎えてくれます。おはよう、さっちゃん。 昨日にはなかった花束とお飲物が置いてあります。その間誰かがお参りに来たのでしょうか。密かに来てお参りしてからこっそり帰る方も少なくありません。 |
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これはイサムサンの車です。幸子さんのサインが貼ってあります。たかやんさんの比ではありませんが、幸子さんへの愛情が覗けて感動的です。しかし問題は・・・、 | |
肝心なお母さんがいないのです。私達との約束をすっぽかして藤井さんの仕事をするために新潟に出かけてしまったのです。是非お母さんと一緒に写真を一枚撮りたいと言った相模美さんの望みもかないませんでした。イサムさんもがっかりです。 最後の記念写真を幸子さんと一緒に撮りました。この写真を撮ってから10分後に岩室に泊まったたかやんさんがわざわざお母さんを一目見ようと遥々走ってきたのです。その時に私達はいなくなっていました。 |
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その後の話し: 私とMARIは伊藤さん宅で待機している大阪後援会長の井戸清一さんに会うために先を急ぎました。大阪後援会が持っている幸子さんの資料も膨大なので、どうしても手に入れたいものです。スタートしてからすぐにたかやんさんから電話がかかってきました。ビックリしました。岩室温泉から幸子さんの所までは相当な距離です。しかも逆方向です。そのまま徳島に向かっても大変だというのに、そこまでしてお母さんに逢いに走ってきたのです。しかもたかやんさんもお母さんと約束をしたそうです。 別に急ぎでもない藤井さんの仕事をそこまで優先させる必要がどこにあるのか、まして今日は昨日来られなかった別のファンの方がお参りに来る可能性が大です。先ほどのお花の方もそうだったのかも知れません。よくもそれで私に藤井さんへの協力をあれこれ頼んでくるものです。先ほどまでは仕方ないなと思っていたのが、たかやんさんの電話で怒りが込みあがりました。しかし、今更どうしようもないのです。とにかく私と会うためにまだ大阪に帰らないで待っている井戸さんの所に急がなければなりません。たかやんさんとは伊藤さん宅で合流することにしました。伊藤さん宅で皆がしばらくの楽しい時間を過ごし、私が大阪を訪問するという約束を取り付けて、皆さんとお別れとなりました。私とMARIはその後も残って吉原さんと伊藤さんと夕方までカラオケで歌を歌ったり食事をしたりして過ごしました。伊藤さんは別れたくなくて中々私達を離してくれません。吉原さんもです。 でももう帰らなければなりません。土曜日の深夜3時に出てもう丸一日と半分です。いつもながら新潟行きの日程はきついです。それでも幸子さん思い一つでそれなりにお金と時間と体力を使って向かうわけです。私よりも遥かに遠い所からの方はもっと大変な思いをしていることでしょう。 帰り道に、お母さんに電話をしてひどく怒りました、一体私達のことを何だと思っているのですかと。言いたいことは全部言いました。お母さんに怒ったのは初めてです。お母さんはただただ謝るばかりでした。皆さんにもよろしくお伝えくださいとのことでした。もう過ぎたことだし、それ以上は責めませんでした。しかし、藤井さんのせいで幸子さんのことが少しでも疎かになるのは許せないことで、今後藤井さんへの協力は一切お断りすると断言しました。 これで後記を終わります。私なりに後記を思い出せる範囲で書いてみました。思い出せないことや見落としたこともたくさんあると思います。それぞれ皆さんの記憶と組合わせて読んでいただければ幸いです。23回忌までは昔の後援会の方が中心でした。こうやってネットで集まった方がたくさん参列したのは今回が初めてです。その意義はとても大きいのだと思います。最後に少し寂しい思いをしましたが、イサムさんも、ゆーきちさんも、相模美さんも、たかやんさんも、もうお母さんを許してあげてくださいね。誰が何と言っても幸子さんのお母さんですもの。
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不如帰の地を訪ねて……第6回東幸会
2016年12月17日
それなりに青い鳥ロケ地第2次探検 2/2
2016年7月16日
トンネルの発見により、探検隊の士気は絶好調だった。この調子であれば、次の場所の発見も容易いはずだ。 実は昨夜、MARIのファンNo.001号を自称する方からメールを一通いただいた。 「もし大当たりであったらご褒美をおねだりしませんか?Mariさん、彼女に幸子さんと同じ場所、同じポーズで”あの人”からの手紙を読む悲しい女になって戴いて、そのスナップを頂戴するというのはどうでしょう?賛成なら交渉してみて下さいよ。いい記念になるかもよ」 どうやらかの八十九さんからの依頼を代理して送ってきたのではという気もするが、確証はない。 いずれにしろ、発見してから考えることだ。
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これから八十九さんの特定場所の探検に差しかかるところである。まずは高台から下を見下ろしながら、偵察をするつもりで灯台に向かった。 | |
太東灯台のある公園から見下ろした景色 | |
上から見てもよくわからない。直接行ってみることにした。 歩いて行くには遠いので、車で移動。 |
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あれ?行き止まりだと? もう少し進んでみたが、広い民家があり、もうそれ以上は無理。 他に道も見当たらなかった。 道を間違えたのかな? 車を引き返してもう一度調べることにした。 |
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元の場所に戻って再度調べたが、先のところで間違いないという結論。 もう一度近くまで行って、適当なところに車を停めて、徒歩で進んだ。 右側にはカンナの花がきれいに咲いている。 山頂には先ほどの灯台が見える。 |
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先ほどの広い民家まで近づいて調べてみたら、右側に獣の道のようなのがあるにはあった。いきなり不吉な予感が頭をよぎった。 幸子さんたちがこんなところでロケ撮影を?う~ん有り得ないな。 しかしここで引き返す訳にも行かないこと。行けるところまで行ってみるしかない。
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大体こんな感じの道だ。麦と兵隊の「徐州徐州と人馬は進む、徐州いよいか住よいか、(中略)友を背にして道なき道を行けば戦野は夜の雨(後略)」の歌詞を彷彿させてくれる凄まじい道だ。 |
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呆れ返った顔で笑っている風さん、本当は泣きたい気分であろう。 |
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延々と続くジャングルのような道 | |
ようやくそのジャングルの道が終わると、・・・・・・ 今度は断崖絶壁に近い急勾配の斜面。 階段はなく、所々崩れ落ちている。前日の大雨により道は濡れているし、泥濘もある。足元は最悪の状態。
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下から見るとこんな感じ。怖~い。 | |
それでも命かけで勾配を下る勇敢な我が探検隊。 | |
悪戦苦闘の末に何とか海岸に降り立った探検隊 | |
さて、肝心な岩場は?そして崖は? 八十九さんの特定の崖もしくは岩場はこんな感じ。 雰囲気は似ているが、海岸に向かって右側には回れないし、決め手となる壊れた防波堤も見えない。崖の形も異なる。
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下に降りて見るとこんな感じ | |
反対側はこんな景色 皆がここがその岩場だと言える根拠を必死に探したが、どうにもならず。 30年という年月で風化されて、ここまでわからなく変わったのではという見解も出たが、有り得ないと一蹴。 大体高が30年間でそこまで変わることもないだろうし、ましてかの防波堤までもが消えるなんて絶対にあり得ないし。そんなことで説明がつくのであれば、房総半島どこに行っても同じことが言えるだろう。
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結論は失敗。 帰り道の苦労はおまけ
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失敗ということで探検隊の顔は暗く、足は重い。 | |
太東漁港の方が雰囲気は似ている、ということで一応訪ねてみた。とりあえず雰囲気くらい見ておこうというのもあって、たったの1%でも可能性があればという望みをかけて・・・・・・。 | |
こんな感じのところである。 中々良いところである。 |
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太東海水浴場の海の家で生ビールを飲みながら疲れを癒した。 暑さの中かなり長い距離を歩いたし、車での移動も長かった。 今回はとりあえずあの隧道を見つけただけで満足することにした。 |
それなりに青い鳥ロケ地第2次探検 1/2
2016年7月16日
幸子の「それなりに青い鳥」のロケ地を見つけよう、というプロジェクトが立てられた。 探すべきポイントは次の五つ 1.跳び下りるつもり(?)で登った崖 2.別れたやつの手紙を読んでいる岩場 3.恋に破れた女のトンネル 4.これから女独りの旅館 5.夕陽の岬
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その場所、どうやら千葉県の勝浦市にあるらしい。 早速、探検隊が結成され、7月9日に第1次探査が行われた。 しかし、大雨に阻まれたうえに、情報も不足し発見されたのは2か所のみ、そのうちの一か所である旅館は、部屋の中を撮影することができず、外のみの撮影となった。 地元の漁師たちに教えてもらったところをびしょ濡れになって長時間探したが、結局岩場と崖の発見は失敗。 |
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その後、風さんの再度の分析により、幸子が手紙を読んでいるシーンで岩の先に壊れた防波堤があることを発見、更に波の高さから見て、どうやら勝浦ではなく、太東、大原、岩船地区のどこかではないかという所見が出された。 それを待っていたかのように、四国在住であるだろうと推定される有志のお一人が何とgoogleでその岩場、もしくは崖の場所を特定できたと探検隊に知らせてきた。その有志の方はもし外れた時のための保険として一応匿名を希望しているらしい。我々は、ここでは本命が判るまで仮の名前で八十九さんと呼ぶことにした。 |
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あまりにもすごいことで、探検隊は騒然となった。 地元の人間を押しのけて、遥々四国に住んでいる(と思われる)方に教えてもらったのだから、無理もないことである。とにかくその真偽を確かめるべく早速第2次探索を7月16日に決行ことにした。 しかし、それだけでは終わらなかった。 15日の夜に、今度はトンネルの場所まで特定して、写真と地図を送ってきた。 地図を見た瞬間ASKAは倒れそうになった。何と、何度も通った、あまりにもよく知っているトンネルではないのか。いったい何で今まで気が付かなかったのだろうか。 |
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7月14日探検隊出発 何もかも食ってからの戦だというモットーに基づいてまずは食事から。 焼き魚定食がとてもおいしかった。 |
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まずはトンネルから探索することにした。 左はトンネルに向かう道、もうこの段階で景色が尋常ではない。 |
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ここがトンネルの進入口である | |
トンネルが見えた。八十九さんが発見したそのトンネルである。 正しくそれなりに青い鳥のロケの際に幸子が立っていた所である。
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トンネルを抜けての道。この道を何度通ったことか。 | |
下から見上げたトンネルの景色、先ほどの反対側である。 | |
もっと下るとこんな景色となる。とにかく綺麗だ。 | |
こんなところも歩いて探検した。 でも波が高くて非常に危ない。
以上でトンネルの探査は終わり。次はまた八十九さんが教えてくれた場所に向かう。 |