村上幸子の全て
本名 鈴木幸子
生年月日 昭和33年10月21日
出身地 新潟県岩船郡荒川町(現村上市大津)
血液型 A型
兄弟 兄と妹が一人ずつ
学歴 金屋小学校 荒川中学校 新発田工芸高等学校(現新発田中央高校)
スポーツ 水泳 体操(宙返り)
趣味 ハンカチ集め 和裁 書道
サイズ 164㎝ 47㎏ B80 W56 H86
好きな食べ物 肉じゃが 赤飯 中華類
苦手な食べ物 魚(煮ても焼いても生でもダメ)鮭はOK
お酒 飲めない(あとで日本酒が1合くらい飲めるようになった)
タバコ 吸わない
好きな花 コスモス
好きな果物 スイカ(スイカは本当に果物なのか?)
好きな動物 猫
好きな季節 秋 逆に苦手な季節は冬、寒さに弱かった。
好きな色 白 赤
悪い癖 長電話
初めて覚えた歌謡曲 「ブルーライト・ヨコハマ」 この曲で幸子は歌手になる気に……
免許 普通自動車免許(1987年12月11日検定合格、24日に免許交付)
自分の顔で一番好きなところ 目
自分の体で気になるところ 胸(が小さいと本人は思っていた)
一番好きな俳優 加藤剛
一番好きな歌手 島倉千代子
好きなスポーツ選手 千代の富士
一番尊敬する人 母親
恋歴 中2のときに野球部の先輩に恋心を抱くもののあっさりとやぶれる。
高校時代に彼氏に発展しそうな人はいたが、上京したため自然消滅。
その後はない(のではないのかな)
初めて買ったレコード 中2のときにぴんからトリオの「女のみち」
本気で歌手になろうと思った切っ掛け
中1の春休みのときに村上市民会館で新潟放送のど自慢が開かれた。
初めて大勢の人の前で歌った幸子。曲は小坂明子の「あなた」
結果は8位だった。しかし、大会終了と同時に地元の旅館やホテルから専属でお
願いしたいとスカウトが殺到、これでうぬぼれた幸子は本気で決心した。
1964年6月16日
幸子新潟大震災に見舞われる
新潟県の粟島南方沖40Kmを震源とするM 7.5の地震が発生し、震源に近い新潟周辺は震度6の烈震に襲われた。
この地震で新潟、秋田、山形の各県を中心に、死者29名、負傷者510名、全壊家屋3,557戸、半壊家屋1万2237戸、浸水15,298戸などの大きな被害を出した。
幸子の家も甚大な被害を受け、建直しを余儀なくされた。
1967年8月26日~8月29日
幸子羽越豪雨に見舞われる
羽越豪雨とは、昭和42年発生した集中豪雨で、羽越水害とも呼ばれる。
主に山形県と新潟県下越地方を中心に被害が発生、死者104名を出す大きな被害をもたらした。
幸子の実家の近くを流れている荒川や胎内川が氾濫し、幸子の家族も全員命からがらだった。
かろうじて命だけは助かったものの、幸子のそれまでの記録は全て消失された。
1965年4月8日
金屋小学校入学
風邪一つ引かない元気な児と育った幸子もいつの間にか小学生になった。
学校は自宅から1.5km程度離れており、幸子は徒歩で片道30分かけて通学をした。
1971年3月6日
金屋小学校卒業
6年1組の学級委員を務めた幸子は歌手になりたいという夢を抱いて小学校を卒業した。
歌手になりたいという夢を担任の先生に打ち明けたら、とても厳しい世界だからやめた方がいいと引き止められた。もちろん幸子はがっかりした。と言うか、逆に絶対に歌手になって見せると意地になった。
写真は卒業記念文集「おもいで」に載っている幸子の卒業作文。
1971年4月9日
荒川中学校入学
小学校を卒業した幸子は国道7号沿いにある地元の中学校に入学した。
1年生の時に幸子は野球部の先輩に初恋をするが、悲惨な(?)結果で終わった。
部活としては水泳と体操をした。腕力が強く、水泳のスピードはずば抜けて速かった。
体操も鉄棒や平均台・跳び箱等、何でも熟していた。
目立たないものの、明るくて友達との関係も円満な極々普通の子だった。 歌が上手くて、地元ののど自慢によく呼ばれたというのが特徴と言えば特徴だった。
1974年3月2日
荒川中学校卒業
1974年4月8日
新発田工芸高等学校入学(現新発田中央高等学校)
中学校を卒業した幸子は自宅から25㎞離れた、新発田市所在の新発田工芸高校の被服課に入学した。幸子にとっては初めての電車通学となった。
田んぼの仕事で忙しい母に代わって、幸子は毎日朝早起きして朝食や兄妹のお弁当を作ってから学校に行った。学校が早く終わったり、休みの日にはご両親と一緒に田んぼに浸かって暗くなるまで米作りに励んだ。
文化祭では「鈴木幸子ショー」が企画されて体育館に先生や全校生が集まった中、約40分にわたって行われた。コンテストへの応募も増え、新潟の各地でも「荒川町の演歌のうまい子」と名を馳せた。
1975年10月12日
NHKのど自慢出演
高校2年生のときに新潟市にて開かれたNHKのど自慢で3番目に出た幸子は、都はるみの「涙の連絡船」を歌って見事に合格を果たした。
1977年3月5日
新発田工芸高等学校卒業
1977年3月5日
上京
卒業式が終わると、幸子は謝恩会には出席せず、そのまま母と二人で上京した。
ヴォイストレーナーである新井利昌(あらいとしあき)先生に近い港区三田に部屋を借りた。
1977年~1978年
下積み時代
父親の反対を押し切って上京した幸子、実家からの援助はなかった。それだけに幸子の苦労は並大抵のものではなかった。
朝から夜までアルバイト、その間に休みを1時間もらって、30~40分間のレッスンを受けた。仕事が終わると、体力作りや発声練習にも精を出した。
1977年3月25日
生まれて初のギャラ
上京して間もなく、まだ右も左もわからない幸子にある依頼が舞い込んできた。
クラウンレコードの先輩歌手北岡宏一が埼玉県の浦和市民会館でコンサートを行うので、そこにゲスト出演して欲しいということであった。幸子にとっては願ってもないことであった。
しかしまだデビューもしておらず、まして上京したばかりの幸子が舞台衣装なんかを持っているわけがない。
悩んだ末に幸子はもう三週間前に高校を卒業したが、サバを読んで(?)セーラー服姿で出演することにした。
歌った曲は都はるみの「涙の連絡船」。
出演する前に幸子は、バンドから人数分の楽譜を用意してくるようにと言われ、普通の楽譜を9枚コピーして持って行った。しかし楽譜は楽器によってすべて異なり、幸子が用意した楽譜では演奏ができないと言われた。幸いなことにそのバンドクルーは何度も「涙の連絡船」を演奏したことがあったので、幸子は事なきを得た。
しかし、事情を知らなかったとはいえ、まだ高校を卒業したばかりで尚、デビューもしていない女の子に、あまりにも配慮に欠けたことであった。
帰りに幸子がもらったは3,000円、生まれて初めてのギャラだった。そのお金を幸子は貯金箱に大事にしまったまま、最後の最後まで使わなかった。
1979年1月25日
村上幸子の誕生
デビューを前にして、幸子をスカウトしたクラウンレコードの佐藤浩二ディレクターが幸子の実家を訪ね、芸名をどうするかということで家族を交えて会議となった。最初は生まれ育った町の「荒川」で行こういう案も出たが、「荒」という字が引っかかり却下された。その代わりに、城下町で歴史と奥行きのある隣の町「村上」が選ばれ、レコード会社からもOKが出た。「村上幸子」の誕生だったのである。
クラウンレコードからデビューを果たした幸子。確かに悲願の夢がかない、めでたいことであった。が、そこには誰にも言えない幸子だけのジレマー、というか悩みが潜めていた。
それは他ならぬ経済的な問題。幸子はデビュー当初プロダクションに属しておらず、所謂フリーの状態であった。当然給料をくれるところはない。かと言ってデビューしたばかりの新人歌手に多額のギャラを払って呼んでくれるところがあるはずもない。生活費やら衣装代やら交通費やら宿泊費やらお金がいくらあっても足りなかった。下積み時代の貯金はあっという間に底を尽き、雀の涙くらいの収入ではとても間に合わない。
幸子は歌手デビューをしてからもスーパーの仕事を辞められなかった。のみならず、高校時代の腕を発揮して浴衣の仕立ての内職もやり続けた。舞台衣装を安く買うために、一日中東京の街を歩き回ることもしばしばだった。
デビュー2年目、歌手の仕事が忙しくなり、アルバイトを定期的にすることが出来なくなった幸子は店長から仕事を辞めてほしいと言われた。(つまり、首になったのだ)
幸いなことに、その頃幸子はプロダクションのクラウン芸能に所属するようになった。
苦労をしたとは言え、それでも幸子はかなり恵まれていた方である。歌手を夢見て上京している数知れぬほどの若者たち、長い下積み生活を経ても花咲かぬまま敗れ去る人の方が圧倒的に多い。幸いなことに何とかデビューを果たしたとしても、それだけのことで終わる人がほとんどである。3年を生き残る確率が3%を切ると言われているのがこの世界なのである。
幸子はスカウトされていて、下積み時代があったが、最初からレコード会社がかかわっていた。言わば、内定をもらっている状態だったのである。
上京3週間にして先輩歌手のコンサートに呼ばれて歌えたのもそういうかかわりがあってのことであった。
大変ではあったが、幸子以上にひどい目に会っている若者もたくさんいたということもまた事実である。
◆ デビュー写真第1号
1979年1月27日
幸子デビュー後初のショー
久しぶりに新潟県で演歌歌手が誕生したということで、地元のマスコミが積極的に幸子を宣伝してくれた。村上市では尚更で、連日宣伝カーが各地を回った。会場は国道7号沿いにある当時の「村上プラザ」(現イオン)であった。当日村上プラザの広場には人波であふれ、交通整理のために地元の警察が大勢借り出された。危険防止のためロープが張られ、関係者たちがどんなに声を揚げても交通整理にあたるものの、次から次へと押し寄せるお客にお手上げ状態だった。もちろん、幸子の家族も総出、小・中学校時代の同級生も校長先生も恩師も集まった。幸子はそんな応援の中で一生懸命にデビュー曲を歌った。
上京してから1年10か月で幸子はそうやって地元で晴れて初舞台に立った。
キャンペーンに次ぐまたキャンペーン、茨の道程
演歌の売れない時代、地元からしっかり固めるというのが幸子がデビューしたときの会社の方針だった。そして会社の幸子にかける期待は大きく、次々と曲を作ってくれた。そのほとんどは、いわゆる「ご当地ソング」だった。
幸子は会社の指示に従って連日キャンペーンで県内のラジオ局やレコード店を回り、夜にはスナックなどを歩き回った。
お金のない幸子は、めっきり減ってしまったアルバイトの収入を少しでもを補うために浴衣の仕立てに力を入れた。が、その収入は一日たった1,500円程度だった。
ステージ衣装は赤と白の二着だけ(ギャラリーとムービーで確認できる)だった。
何せ、デビューしたばかりの新人歌手に、贅沢は言っていられなかった。呼んでくれるところあらば、幸子はどこにでも跳んで行った。 この時代に幸子の大きな力になってくれた人と言えば、やはり「吉原吉蔵」さんを置いては語れまい。
1979年2月14日
▼ お文カラオケ大会ゲスト出演 |
加茂シネマにて |
▼ 地元キャンペーン |
1979年4月28日
原宿カラオケ大会にゲスト出演
日を夜に次いでキャンペーンまたキャンペーンの行脚に余念のない幸子、しかし曲はまったくと言っていいほど鳴かず飛ばずだった。それでも幸子はやるしかなかった。
1979年4月29日
三条市の長崎屋、催し場にてキャンペーンとサイン会開催
村松市の村松公園にてキャンペーン
加茂山にてキャンペーン
1979年5月27日
第46回日本ダビ―の新人歌手まつりに出演
1979年7月14日
酒屋町の歌謡大売出しに出演
新潟市の酒屋町で行われた「歌謡大売出し」に、幸子は春日八郎さんの前座歌手として出演、2曲を歌った。
この際の主催者の一人が後程の後援会長斉藤康男さんであった。
よく気が利き、気取らない幸子に惚れ込んだ斉藤さんはその後後援会を作り、幸子の後援に尽力することになる。
1979年7月25日
越後自慢リリース
デビュー曲の売行きがあまり芳しくなく、半年後に第2作目を発表することになった。
1979年7月29日
新曲発表会とサイン会、ファンクラブ結成式
7月29日と30日の二日間地元での新曲発表会(レストラン鴨川)とキャンペーンを行った。この日は記念すべき初のファンクラブが結成された。
これがベースとなり、後程斉藤康男後援会長の引っ張る後援会へと発展していくことになる。
1979年8月24日
斉藤康男後援会長と再度の出会い
デビューしてちょうど8か月目を迎えた幸子はこの日願ってもない大きな幸運を掴むことになった。
斉藤社長はこの年、春日八郎の公演を主催することになった。公演の当日はとても暑かった。春日八郎さんを始め公演団のメンバーが到着したものの、楽屋のような気の利いた施設があるわけがない。斉藤さんは自分の会社の2階を楽屋の代わりに使わせた。みんなが暑さと疲れに負けてぐったりとしていた。そのとき、お茶を入れたり、扇風機を回したりしながらてきぱきと動く一人の女の子がいた。もちろん斉藤さんはその女性が歌手の一人だとは知らず、ただの付き人だとばかり思っていた。あとで幸子のことを知った斉藤さんは溜息をついた。「とにかくよく気の利く子」というイメージが脳裏に深く各印された。後日、斉藤さんは幸子を自宅に招待し奥さんと記念撮影をした。それが斉藤さんの宝物となり、今でも自宅の居間に大きくかかっている。この日が後程の村上幸子新潟後援会の胎動の日となったのは言うまでもない。
1980年5月20日
じょんがら恋唄シングルカセット発売
1980年5月22日
イタリヤ軒にてじょんがら恋唄新曲発表会
5月25日の発売に先行して新潟市の「ホテルイタリヤ軒」にて「じょんがら恋唄」の発表会を行った。B面は「あなたの東京」。これによって幸子は活動の中心を地元から中央に移すことになった。
1980年5月25日
第3作「じょんがら恋唄」リリース
1980年9月21日
一日警察 新潟市内にて
1981年(昭和56)6月25日
第4作「恋のわかれ唄」リリース
1981年(昭和56)7月1日
恋のわかれ唄新曲発表会とファンの夕べ
VIP玉姫殿にて
1981年8月8日
越後中里納涼列車と一日車掌
1981年9月15日
敬老の日「胎内やすらぎの家」訪問
おばあちゃんのファッションショーにゲスト出演(大和新潟店)
1981年10月24日
NHKラジオ「ひるの散歩道」出演
1981年10月25日
「村上幸子ヒット曲集」発売
1981年12月5日
「村上幸子ヒット曲集」発売 (カセットテープ)
1982年7月25日
第5作目「盛り場かもめ」リリース
加茂文化会館にて新曲発表会
LP村上幸子演歌の郷愁発売
カセットテープ村上幸子演歌の郷愁発売
1982年8月25日
「演歌の郷愁」リリース
1982年10月25日
「こころうるおい夢本線」リリース
1982年10月27日
「シングルカセット「盛り場かもめの/じょんがら恋唄」発売
1982年11月2日
新潟県民会館にて村上幸子ショー「村上幸子ふるさと新潟に歌う」
1982年11月11日
一日税務署長 新潟税務署にて
1982年11月14日
同じレコード会社所属の鳥羽一郎と真咲よう子とともにレコード販売店を中心に都内で新曲盛り場かもめのキャンペーンを行った。
1982年11月15日
上越新幹線開業記念イベント 新潟駅にて
1982年11月23~24日
年忘れお座敷列車氷見の旅
村上幸子新潟後援会はこの年忘年会を兼ねて「年忘れお座敷列車」を企画した。当時幸子が国鉄のイメージガールを務めていたこともあり、国鉄の中に幸子のファンが多いことも幸いしてことは順調に運んだ。
1982年12月28日
斉藤後援会長宅にて忘年会
1983年3月23日
斉藤会長宅にて親睦会
1983年4月11日
和泉ビル竣工及び創立10周年記念ショー
1983年(昭和58)4月25日
諏訪神社(新発田市)祭礼キャンペーン
1983年6月5日
BSN 清流杯カラオケ大会ゲスト出演(加茂文化会館)
1983年7月16日
「やがて港は朝」で第4回古賀政男記念音楽大賞入賞
1983年8月20日
「やがて港は朝」シングル発売
1983年8月21日~22日
第一回村上幸子とお座敷列車の旅 男鹿半島
1983年10月2日
八王子大丸にてラジオ公開放送
1983年12月10日
「村上幸子演歌ヒット12」発売 (カセットテープ)
1984年1月20日
岩室物語リリース
1984年2月3日
本田夫妻とディズニーランドへ
1984年(昭和59)2月20日
雨の駅裏リリース
1984年4月1日
新潟後援会総会
1984年4月20日
酒場すずめリリース
1984年5月25日
クラウンレコード社屋にてひと時
1984年6月9日
「酒場すずめ」で第5回古賀政男記念音楽大賞入賞
1984年6月10日
クラウンレコードの進藤会長は幸子を社長室に招いて第4回古賀政男記念大賞の受賞を労った。
1984年6月16日
「第4回酒屋町支部村上幸子を育てる会
1984年6月24日
中越地区後援会発会式
1984年6月26日
小樽博覧会
1984年7月4日
北海道キャンペーン
1984年7月22日
NHKあなたのメロディーに出演
1984年8月20日
LP酒場すずめ発売
「村上幸子ベスト12」発売 (カセットテープ)
1984年8月31日
コメリSC店訪問及びキャンペーン
1984年9月10日
「鳥羽一郎/村上幸子ベスト12」発売(カセットテープ)
1984年10月20日
「酒場すずめ」LP盤 発売
1984年10月23日
「酒場すずめ」日本作詞大賞
1984年10月28日
NHKあなたのメロディーに出演
1984年11月11日 ~12日
第2回村上幸子とお座敷列車の旅 和倉温泉
1984年11月15日
札幌テレビ「ハイ!大沢です」出演
1984年12月7日
酒場すずめで日本有線大賞奨励賞
1985年2月17日
春のウイスキーフェスティバルアトラクション 新潟県民会館にて
1985年3月8日
日本テレビ 歌まね振りまねスターに挑戦 小柳ルミ子 恋の雪別れ
1985年3月10日
カセットテープ鳥羽一郎/村上幸子演歌の競演発売
1985年3月22日
日本テレビ 歌まね振りまねスターに挑戦 小柳ルミ子 恋の雪別れ
1985年3月29日
日本テレビ 歌まね振りまねスターに挑戦 島倉千代子 この世の花
1985年3月31日
中越地区後援会総会 新潟市まるよしにて
1985年4月6日
鰍沢町さくら祭りアトラクション 山梨県富士川町(旧鰍沢町)大法師公園にて
1985年4月14日
イシカワ楽器キャンペーン
1985年4月19日
日本テレビ 歌まね振りまねスターに挑戦 菅原都々子 月がとっても青いから
1985年4月21日
「女の旅路」リリース
1985年5月3日
日本テレビ 歌まね振りまねスターに挑戦 女の旅路
1985年5月21日
カセットテープ「村上幸子ベスト12」発売
1985年6月21日
「村上幸子音頭を唄う」リリース
1985年7月5日
日本テレビ 歌まね振りまねスターに挑戦 小林幸子 おもいで酒
1985年7月11日
NHK歌謡ホール出演 (浦和市文化センターにて)
1985年7月19日
日本テレビ 歌まね振りまねスターに挑戦 八代亜紀 愛の終着駅
1985年8月2日
日本テレビ 歌まね振りまねスターに挑戦 八代亜紀 雨の慕情
1985年7月21日
LP「女の旅路/酒場すずめ 村上幸子ベスト12」発売
1985年8月4日
新潟市萬代橋商店街にてキャンペーン・サイン会
1985年8月15日
クラウン芸能からホリプロに移籍
1985年8月25日
荒川町町制30周年記念イベント特別公演 岩船広域総合体育館にて
1985年9月21日
「みちのくしぐれ」リリース
1985年10月1日
中之口村商工会創立25周年記念イベントショー 中之口村体育館にて
1985年(昭和60)10月5日
「それなりに青い鳥」リリース カセットテープ村上幸子ベスト12発売
1985年10月21日
KSB(瀬戸内海放送)生放送出演 高知競馬場にて
1985年10月29日
長岡市立劇場にて日本テレビ全日本歌まね選手権公開録画
1985年11月4日
横越村農協芸能祭りにてショー
1985年11月8日
日本テレビ全日本歌まね選手権放映(幸子優秀歌唱賞受賞)
1985年11月10~11日
第3回「村上幸子とお座敷列車の旅」 山代温泉
1985年11月12日
日本テレビ全日本歌まね選手権公開録画
1985年11月14日
カラオケ大会ゲスト出演(水原町福祉大ホールにて)
1985年11月15日
BSN大倉修吾のポスト録音
ヒットパレード録音
テレビサロン出演
1985年11月17日~25日
17日 NHKラジオサンデージョッキー
19日 札幌テレビ公開録画
20日 神林村郵便局主催村上幸子ショー
21日 LP村上幸子ベスト12発売
22日 TBS街角テレビ(生放送)
23日 群馬TV公開録画(カラオケ大会ゲスト出演)
24日~25日 秋田でカラオケ大会ゲスト出演
1985年11月26日~30日
27日 日本テレビうわさのスタジオ生放送
28日 ABC三枝の国盗りゲーム録画(正月に放映)
29日 TBSラジオ土曜だわっしょい
山陰放送倉吉サテライト
1985年12月1日~3日
1日 山陰放送倉吉サテライト
2日 ラジオ一番鳥録音
3日 FM東京歌謡列車
1985年12月7日~13日
7日 NHK函館TV昼の招待席
8日 FM東京お祭りゲスト
9日 にっぽんの歌録画(12月23日放映)
11日 新潟食品社長宅訪問
12日 文化放送生放送
13日 朝日放送シャボン玉プレゼント(12月下旬放映)
テレビ朝日歌謡ドッキリ(12/22放映)
1985年12月21日~31日
21日 シングルカセット「それなりに青い鳥/冬の花冬の色」発売
23日 本田夫妻とのり子とディズニーランドに
25日 フジテレビ正月特番録画
27日 フジテレビ正月特番なつめろ録画
29日 新潟NT21スタジオ出演(照光まことの土曜スタジオ土スタカラオケ大賞)
31日 走れ歌謡曲ゲスト出演
その後宮崎へ移動
1986年1月2日~4日
帰省 お正月休み
1986年1月7日
日本テレビ「それはそれは秘密です」に出演
1986年1月9日
作詞家三木たかしとクイズ番組出演
大阪朝日放送制作番組
『三枝の国盗りゲーム』400回記念・作曲家と秘蔵っ子大会
1986年1月15日
走れ歌謡曲ゲスト出演
1986年1月25日
新潟市内にてデュエットカラオケ大会出演
株式会社まるよし新年会ディナーショー
食事会
1986年2月18日~21日
2月18日 走れ歌謡曲ゲスト出演 (パーソナリティ紀平真理)
愛知県一宮キャンペーン
2月19日 三重県津キャンペーン
2月20日 愛知県豊田キャンペーン
2月21日 香川県高松キャンペーン
1986年4月5日
シングルジャケット「恋小舟/一生よろしく私のあなた」リリース
1986年4月7日
コロムビア大行進 厚生年金ホール(東京都新宿区)にて文化放送開局35周年記念イベント
1986年4月10日 ~11日
走れ歌謡曲パーソナリティー初放送
この日から3年間の走れ歌謡曲の木曜日担当パーソナリティーとしての仕事が始まった。
4月11日 休み
1986年4月12日
弥彦文化体育館にて村上幸子ショー
やっちゃんの店訪問
弥彦市の弥彦文化体育館にて新潟放送が企画した村上幸子ショーに出演、その帰り道に後援会のメンバーの一人である長谷川康さんが経営している居酒屋やっちゃんの店に立ち寄り、ファンとの交流を深めた。幸子が走れ歌謡曲の仕事を始めた翌々日のことだけに、その話題でもちきりとなった。
1986年4月13日 ~17日
4月13日~15日 東京にてラジオ番組出演
4月17日 走れ歌謡曲
1986年4月27日
BSN新発田文化会館にて春まつりカラオケ大会ゲスト出演
1986年5月25日 ~30日
5月25日 三条市農協パーティー(「楽園」にて)
5月29日 走れ歌謡曲
テレビ東京「演歌の花道」出演
5月30日 歌謡パレード日本にゲスト出演
1986年6月1日 ~6日
6月1日 山形新庄市民会館にゲエスト出演
6月2日 レッスン
6月3日 都内にて地方向けラジオ録音撮り
6月4日 6月15日に行う新潟コンサートのリハーサル
6月5日 走れ歌謡曲
6月6日 都内ラジオ番組演歌の特番公開録音
1986年6月7日 ~12日
6月7日~8日 母上京 休み
6月9日 街角テレビ打ち合わせ取材 レッスン
6月10日 レッスン
6月12日 走れ歌謡曲 レッスン
1986年6月13日 ~17日
6月13日 名古屋にて東海ラジオ録音
三重テレビ生出演と録画撮り
6月14日 名古屋キャンペーン
東海ラジオ出演
6月15日 新潟市荻川コミュニティーセンター体育館コンサート
新潟市内で親睦会
6月16日 BSNラジオ録音撮り
6月17日 新潟県三条市コンサート
1986年6月19日 ~25日
6月19日 走れ歌謡曲
レッスン
レコーディング(螢火情話・じょんがらの宿)
6月20日 春日部にてTBS街角テレビ出演
レコーディング(デュオ雨上がり)
6月21日 レコーディング(デュオ雨上がり)
宮崎へ移動
6月22日 (幸子がコマーシャルに出演していた)雲海酒造のパーティーに出席
6月25日 FM東京(歌謡バラエティー)出演
1986年6月26日 ~30日
6月26日 走れ歌謡曲
6月27日 写真撮影
6月28日~29日 クラウンレコードスターパレード(山形市にて)
6月30日 デュオ雨上がりレコーディング
1986年7月1日 ~6日
7月1日 北岡宏一新曲発表会のゲスト出演(浦和市民会館にて)
7月2日 デュオ雨上がりレコーディング
7月3日 走れ歌謡曲
7月4日~ 5日 函館にてラジオ生出演
7月6日 NHKラジオサンデージョッキー出演
RFラジオ日本(横浜)でラジオ録音
1986年7月8日 ~31日
7月8日 東京にてラジオ録音撮り
7月10日 走れ歌謡曲
レッスン 打ち合わせ等
7月12日 名古屋にてデュオ雨上がりの撮影
7月13日 三重県賢島にてサイン会
7月15日 東京にてラジオ録音撮り
7月17日 走れ歌謡曲
7月18日~19日 クラウンスターパレード(北海道北見)
7月20日 三浦海岸にてラジオ録音撮り
7月21日 東京にてラジオ録音撮り
7月22日 レッスン 雑誌の取材
7月23日 兄の幸一上京
7月24日 走れ歌謡曲 幸一参観
宮崎へ移動
7月25日 宮崎お祭り出演
7月26日 長崎海のフェスティバル(長崎放送)ゲスト出演
7月27日 名古屋コッピィ歌の広場出演(豊田市にて)
歌謡ヒットパレードの録音撮り(東京にて)
7月28日~30日 NHKラジオ演歌今昔出演
その後 マネジャーの山木が夏休みであるため幸子も休みとなる。
7月31日 走れ歌謡曲
12/5発売のCD音合わせ(村上幸子演歌ヒット14)
1986年8月1日 ~7日
8月1日 クラウンスターパレード(新潟県民会館にて)
8月2日 クラウンスターパレード(札幌市にて)
8月3日 札幌から東京へ移動
8月4日 NHK歌謡スペシャル出演。春日八郎と共演
テレビ東京にっぽんの歌出演
8月5日 LPレコーディング
8月6日 ラジオ日本「押阪忍のさわやかラジオ」に出演
8月7日 走れ歌謡曲
1986年8月8日 ~31日
8月8日 TBS街角テレビ出演(江戸川区鹿骨区民会館にて)
8月9日 長岡カラオケ大会(新潟放送会館あおでんにて)
8月11日 11/21発売ののLPレコーディング(カセットテープ村上幸子演歌ヒット12)
8月12日 埼玉県富士見市竹の子祭り出演
8月13日 タケノコ祭りゲスト出演(埼玉県富士見市にて)
母兄舞子上京
8月14日 走れ歌謡曲(兄参観)
8月15日 宮崎へ移動
8月16日 宮崎放送(MRT)の「歌のチャンピオン」に出演(宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町にて)
8月17日 宮崎から東京へ移動
8月18日 LPレコーディング
8月19日 東京都内でラジオ録音
8月20日 ラジオ日本『芥川隆行の演歌だヨ!』に出演
8月21日 走れ歌謡曲
東京都内でラジオ生放送出演
12月5日発売のCDレコーディング(村上幸子演歌ヒット14)
蛍火情話リリース
カセットテープ村上幸子ベスト12発売
8月22日 雑誌演歌ジャーナル取材
8月23日 広島県庄原市民会館にて祭り出演
8月24日 福山にてサイン会(13:00~)
8月25日 東京都内でラジオ録音
8月27日 NHKはつらつスタジオ(夜8時~9時生番組)
8月28日 走れ歌謡曲(妹夫妻参観)
8月29日 クラウンスターパレード(岡山武道館にて)
8月30日 キャンペーン(岡山にて)
8月31日 夏休み
1986年9月1日 ~7日
9月1日 夏休み
9月2日 FM東京出演
9月4日 走れ歌謡曲
テレビ東京演歌の花道出演
9月5日 ラジオ番組歌謡曲だよ、人生はに出演
シングルカセット「螢火情話/じょんがらの宿」発売
9月6日 雑誌の取材
9月7日 休み
1986年9月8日 ~23日
9月8日 レッスン
9月9日 ニッポン放送『玉置宏の笑顔でこんにちは!』に出演
9月11日 走れ歌謡曲
9月12日 クラウンスターパレード(十和田市民文化センター)
9月13日 キャンペーン(青森にて)
9月14日 妙高高原赤倉温泉にてショー
9月16日 ときめきランチタイム生番組出演(東京)
9月17日 蛍火情話のレーザーディスク録画取り
9月18日 走れ歌謡曲
9月19日 クラウンスターパレード(神戸三宮国際会館)
9月20日 池袋サンシャイン4Fにてラジオ出演
9月21日 NHKラジオ公開録音(埼玉県坂戸市民会館)
デュオ雨上がりリリース
シングルカセット「デュオ雨上がり/酒季の歌)
9月22日 NHKラジオ昼の散歩道出演
9月23日 雲海酒造コマーシャル撮り
1986年9月24日 ~10月1日
9月24日 東京都内ラジオ録音
9月25日 走れ歌謡曲
雲海酒造コマーシャルソングレコーディング
9月26日 走れ歌謡曲演歌祭りクラウンスターパレード(九段会館いて公開録音)
9月27日 山口放送出演(山口県徳山市しにて)
9月28日 クラウンスターパレード(熊本市グリーンピクにて)
9月29日 歌謡列島出演(東京都内生放送)
9月30日~10月1日 休み(帰省)
1986年10月2日 ~10月6日
10月2日 走れ歌謡曲
10月3日 コンパクトディスクビデオ撮影
10月4日 加茂信用金庫杉の子会20周年記念公演(加茂体育館にて)
10月5日 中条にて新潟放送公開録音
10月6日 新潟放送公開録音(ホテルオークラにて)
1986年10月7日 ~10月22日
10月8日 美容室(髪の毛をバッサリカット)
10月9日 走れ歌謡曲
都内にて北海道放送のラジオ録音(銀河からこんにちは)
10月10日 NHK「昼の散歩道」に出演
文化放送「ラジオ繁盛」録音撮り
妹の江利子軽井沢に
10月11日~12日 休み
10月13日 レッスン 雑誌の取材
10月14日 NHK日本作詞大賞(両親と後援会の8人上京)
10月16日 走れ歌謡曲
10月17日 テレビ朝日歌謡「びんびんハウス」に出演
10月18日 ホリプロと正式契約
10月19日~22日 休み(引っ越し)
1986年10月23日 ~10月25日
10月24日 レッスン
10月25日 クラウンスターパレード(岐阜市民会館にて)
1986年10月26日 ~10月31日
10月26日~27日 村上幸子とお座敷列車(宮城県鳴子温泉、270名参加)
10月28日 移動日(新潟⇒東京)
10月29日 ラジオ生番組出演(蒲田東急ストアー)
10月30日 走れ歌謡曲
10月31日 NHK夕べの広場公開録画(鳥取大丸デパートにて)
1986年11月1日 ~11月6日
11月1日 宮崎放送「はじめちゃんの歌い人生」(12:00~14:00生放送、宮崎市内)
11月2日 宮崎県小林市農協まつり(テレビ)出演
11月3日 移動日(宮崎⇒東京)
11月4日 レッスン
11月5日 休み
11月6日 走れ歌謡曲
11月7日 レッスン
1986年11月7日 ~11月13日
11月7日 レッスン
11月8日 北海道稚内に移動 (飛行機の中で樺太を見た、初めて見た外国)
11月9日 HBC出演(稚内総合文化センター)
11月10日 札幌演歌祭りリハーサル(札幌市民会館)
11月11日 札幌演歌祭り本番(札幌市民会館)
11月12日 移動日(札幌⇒東京)
11月13日 走れ歌謡曲
1986年11月14日 ~11月20日
11月14日 テレビ番組「全国ジュニアー選抜」に出演(岡山笠岡市民会館にて)
11月15日 名古屋キャンペーン(三重にて三重テレビに出演)
11月16日 名古屋キャンペーン(南塘町など色々な場所にて)
11月18日 レッスン
11月20日 走れ歌謡曲
1986年11月21日 ~11月30日
11月21日 三重県川越町サンリバーにてTBCラジオ出演
カセットテープ村上幸子演歌ヒット12発売
11月22日 衣装の打ち合わせ
11月23日 NHKラジオサンデージョッキー出演(実りの秋たべものフェスティバル)
11月24日 雑誌の取材
11月25日 レッスン
11月27日 走れ歌謡曲
11月28日 文化放送ラジオ録音
11月29日~11月30日 高松にて西日本放送荏原ショッピングデートに出演
1986年12月1日 ~12月10日
12月1日 テレビ東京[にっぽんの歌」録画撮り
ホリプロ翌年契約
12月2日 青森県五所川原市にてコンサート
12月4日 走れ歌謡曲
NHK歌謡ホール出演
12月5日 食事会(決起大会、打ち合わせ)
CD村上幸子演歌ヒット14発売
12月6日 休み
12月7日 クラウンスターパレード(羽生市産業文化会館にて)
12月8日 都内にてラジオ録音
12月9日 雑誌の取材
1986年12月11日 ~12月17日
12月11日 走れ歌謡曲
港区白金の八芳園にて雨あがり5社競作イベント
12月12日 新聞・雑誌取材
12月13日 都内にてラジオ録音
12月14日 新潟にてファンの集い(楽園にて)
12月15日 新潟にてファンの集い
12月16~17日 休み
1986年12月18日 ~12月31日
12月18日 走れ歌謡曲
12月19日 函館市民会館「競馬ファンの集い」に出演
12月20日 移動日(函館→東京)
12月21日 山梨にて山梨テレビのjカラオケ大会録画撮り
12月22日 ラジオ日本『芥川隆行の演歌だヨ!』に出演
12月23日 レッスン
12月24日 浅草のマツヤでラジオ録音
12月25日 走れ歌謡曲
12月26日 レッスン
12月27日 雑誌の取材
12月28日 鴨川グランドホテルでショー
12月29日 移動日(鴨川→東京)
12月30日 TBS街角テレビ出演(大忘年会)
1987年4月21日
「おまえと生きる」リリース
▼ジャケット写真の原本
1987年5月4日 一日駅長
▼新潟駅にて
1987年9月21日
「村上幸子ベスト16」発売
1987年12月21日
「村上幸子ベスト20」発売
1988年3月26日 不如帰プロモーションビデオのロケ撮影
▼神奈川県逗子市浪子不動にて
1988年9月23日 高輪警察一日署長
▼ 品川駅前にて