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バイオグラフィー

1958年(昭和33)10月21日 誕生

新潟県岩船郡荒川町(現村上市大津)にて、父鈴木幸雄と母一子の長女として生まれた。

3人兄弟で、兄の幸一と妹の江利子がいる。

 

村上幸子の全て

本名         鈴木幸子

生年月日       昭和33年10月21日

出身地        新潟県岩船郡荒川町(現村上市大津)

血液型        A型

兄弟         兄と妹が一人ずつ

学歴         金谷小学校 荒川中学校 新発田工芸高等学校(現新発田中央高校)

スポーツ       水泳 体操(宙返り)

趣味         ハンカチ集め 和裁 書道

サイズ        164㎝ 47㎏ B80 W56 H86

好きな食べ物     肉じゃが 赤飯 中華類

苦手な食べ物     魚(煮ても焼いても生でもダメ)鮭はOK

お酒         飲めない(あとで日本酒が1合くらい飲めるようになった)

タバコ        吸わない

好きな花       コスモス

好きな果物      スイカ(スイカは本当に果物なのか?)

好きな動物      猫

好きな季節      秋 逆に苦手な季節は冬、寒さに弱かった。

好きな色       白 赤 

悪い癖        長電話

初めて覚えた歌謡曲 「ブルーライト・ヨコハマ」 この曲で幸子は歌手になる気に……

免許         普通自動車免許(1987年12月11日検定合格、24日に免許交付)

自分の顔で一番好きなところ 目 

自分の体で気になるところ 胸(が小さいと本人は思っていた)

一番好きな俳優    加藤剛

一番好きな歌手    島倉千代子

好きなスポーツ選手  千代の富士 

一番尊敬する人    母親       

恋歴         中2のときに野球部の先輩に恋心を抱くもののあっさりとやぶれる。

           高校時代に彼氏に発展しそうな人はいたが、上京したため自然消滅。

           その後はない(のではないのかな)

初めて買ったレコード 中2のときにぴんからトリオの「女のみち」

本気で歌手になろうと思った切っ掛け

           中1の春休みのときに村上市民会館で新潟放送のど自慢が開かれた。

           初めて大勢の人の前で歌った幸子。曲は小坂明子の「あなた」

           結果は8位だった。しかし、大会終了と同時に地元の旅館やホテルから専属でお

           願いしたいとスカウトが殺到、これでうぬぼれた幸子は本気で決心した。 

 

 

1964年(昭和39)6月16日 幸子新潟大震災に見舞われる

新潟県の粟島南方沖40Kmを震源とするM 7.5の地震が発生し、震源に近い新潟周辺は震度6の烈震に襲われた。

この地震で新潟、秋田、山形の各県を中心に、死者29名、負傷者510名、全壊家屋3,557戸、半壊家屋1万2237戸、浸水15,298戸などの大きな被害を出した。

幸子の家も甚大な被害を受け、建直しを余儀なくされた。

 

1967年(昭和42)8月26日~8月29日 幸子羽越豪雨に見舞われる

 

 羽越豪雨とは、昭和42年発生した集中豪雨で、羽越水害とも呼ばれる。
主に山形県と新潟県下越地方を中心に被害が発生、死者104名を出す大きな被害をもたらした。
幸子の実家の近くを流れている荒川や胎内川が氾濫し、幸子の家族も全員命からがらだった。
かろうじて命だけは助かったものの、幸子のそれまでの記録は全て消失された。

 

1965年(昭和40)4月8日 金屋小学校入学

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風邪一つ引かない元気な児と育った幸子もいつの間にか小学生になった。
学校は自宅から1.5km程度離れており、幸子は徒歩で片道30分かけて通学をした。 

 

1971年(昭和46)3月6日 金屋小学校卒業

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 6年1組の学級委員を務めた幸子は歌手になりたいという夢を抱いて小学校を卒業した。

   歌手になりたいという夢を担任の先生に打ち明けたら、とても厳しい世界だからやめた方がいいと引き止められた。もちろん幸子はがっかりした。と言うか、逆に絶対に歌手になって見せると意地になった。 

 

 写真は卒業記念文集「おもいで」に載っている幸子の卒業作文。

 

 

 

1971年(昭和46)4月9日荒川中学校入学

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  小学校を卒業した幸子は国道7号沿いにある地元の中学校に入学した。

 1年生の時に幸子は野球部の先輩に初恋をするが、悲惨な(?)結果で終わった。

 部活としては水泳と体操をした。腕力が強く、水泳のスピードはずば抜けて速かった。

 体操も鉄棒や平均台・跳び箱・吊り輪等、何でも熟していた。

 目立たないものの、明るくて友達との関係も円満な極々普通の子だった。 歌が上手くて、地元ののど自慢によく呼ばれたというのが特徴と言えば特徴だった。

 

1974年(昭和49)3月2日荒川中学校卒業

 

 

 

 

1974年(昭和49)4月8日新発田工芸高等学校入学(現新発田中央高等学校)

 ▼ 当時の新発田工芸高等学校全景

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中学校を卒業した幸子は自宅から25㎞離れた、新発田市所在の新発田工芸高校の被服課に入学した。幸子にとっては初めての電車通学となった。

 田んぼの仕事で忙しい母に代わって、幸子は毎日朝早起きして朝食や兄妹のお弁当を作ってから学校に行った。学校が早く終わったり、休みの日にはご両親と一緒に田んぼに浸かって暗くなるまで米作りに励んだ。

 文化祭では「鈴木幸子ショー」が企画されて体育館に先生や全校生が集まった中、約40分にわたって行われた。コンテストへの応募も増え、新潟の各地でも「荒川町の演歌のうまい子」と名を馳せた。

 

1975年(昭和50)10月12日 NHKのど自慢出演

  高校2年生のときに新潟市にて開かれたNHKのど自慢で3番目に出た幸子は、都はるみの「涙の連絡船」を歌って見事に合格を果たした。

 

1977年(昭和52)3月5日新発田工芸高等学校卒業

 

 

 

 

1977年(昭和52)3月5日卒業式が終わると、そのまま母と一緒に上京

 

 卒業式が終わると、幸子は謝恩会には出席せず、そのまま母と二人で上京した。

ヴォイストレーナーである新井利昌(あらいとしあき)先生に近い港区三田に部屋を借りた。

 

                    

 

1977年(昭和52)~1978年(昭和53)下積み時代

父親の反対を押し切って上京した幸子、実家からの援助はなかった。それだけに幸子の苦労は並大抵のものではなかった。

朝から夜までアルバイト、その間に休みを1時間もらって、その間に30~40分間のレッスンを受けた。仕事が終わると、体力作りや発声練習にも精を出した。

                                                           

  

 

1977年(昭和52)3月25日幸子生まれて初のギャラ

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  上京して間もなく、まだ右も左もわからない幸子にある依頼が舞い込んできた。

 クラウンレコードの先輩歌手北岡宏一が埼玉県の浦和市民会館でコンサートを行うので、そこにゲスト出演して欲しいということであった。幸子にとっては願ってもないことであった。

 しかしまだデビューもしておらず、まして上京したばかりの幸子が舞台衣装なんかを持っているわけがない。

 悩んだ末に幸子はもう三週間前に高校を卒業したが、サバを読んで(?)セーラー服姿で出演することにした。

 歌った曲は都はるみの「涙の連絡船」。

 出演する前に幸子は、バンドから人数分の楽譜を用意してくるようにと言われ、普通の楽譜を9枚コピーして持って行った。

 しかし楽譜は楽器によってすべて異なり、幸子が用意した楽譜では演奏ができないと言われた。幸いなことにそのバンドクルーは何度も「涙の連絡船」を演奏したことがあったので、幸子は事なきを得た。

しかし、事情を知らなかったとはいえ、まだ高校を卒業したばかりで尚、デビューもしていない女の子に、あまりにも配慮に欠けたことであった。

帰りに幸子がもらったは3,000円、生まれて初めてのギャラだった。そのお金を幸子は貯金箱に大事にしまったまま、最後の最後まで使わなかった。

◆写真は浦和市民会館

 

1979年(昭和54)1月25日幸子デビューその一、村上幸子の誕生 

  ◆ デビュー写真第1号

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 デビューを前にして、幸子をスカウトしたクラウンレコードの佐藤浩二ディレクターが幸子の実家を訪ね、芸名をどうするかということで家族を交えて会議となった。最初は生まれ育った町の「荒川」で行こういう案も出たが、「荒」という字が引っかかり却下された。その代わりに、城下町で歴史と奥行きのある隣の町「村上」が選ばれ、レコード会社からもOKが出た。「村上幸子」の誕生だったのである。

 

幸子デビューその二、デビューのジレマー

  クラウンレコードからデビューを果たした幸子。確かに悲願の夢がかない、めでたいことであった。が、そこには誰にも言えない幸子だけのジレマー、というか悩みが潜めていた。

それは他ならぬ経済的な問題。幸子はデビュー当初プロダクションに属しておらず、所謂フリーの状態であった。当然給料をくれるところはない。かと言ってデビューしたばかりの新人歌手に多額のギャラを払って呼んでくれるところがあるはずもない。生活費やら衣装代やら交通費やら宿泊費やらお金がいくらあっても足りなかった。下積み時代の貯金はあっという間に底を尽き、雀の涙くらいの収入ではとても間に合わない。

幸子は歌手デビューをしてからもスーパーの仕事を辞められなかった。のみならず、高校時代の腕を発揮して浴衣の仕立ての内職もやり続けた。舞台衣装を安く買うために、一日中東京の街を歩き回ることもしばしばだった。

デビュー2年目、歌手の仕事が忙しくなり、アルバイトを定期的にすることが出来なくなった幸子は店長から仕事を辞めてほしいと言われた。(つまり、首になったのだ)

幸いなことに、その頃幸子はプロダクションのクラウン芸能に所属するようになった。                 

 

幸子デビューその三、それでも幸子は恵まれていた

  苦労をしたとは言え、それでも幸子はかなり恵まれていたのである。歌手を夢見て上京している数知れぬほどの若者たち、長い下積み生活を経ても花咲かぬまま敗れ去る人の方が圧倒的に多い。幸いなことに何とかデビューを果たしたとしても、それだけのことで終わる人がほとんどである。3年を生き残る確率が3%を切ると言われているのがこの世界なのである。

幸子はスカウトされていて、下積み時代があったが、最初からレコード会社がかかわっていた。言わば、内定をもらっている状態だったのである。

上京3週間にして先輩歌手のコンサートに呼ばれて歌えたのもそういうかかわりがあってのことであった。

大変ではあったが、幸子以上にひどい目に会っている若者もたくさんいたということもまた事実である。

 

1979年(昭和54)1月27日、幸子デビューその四、初のショー

 久しぶりに新潟県で演歌歌手が誕生したということで、地元のマスコミが積極的に幸子を宣伝してくれた。村上市では尚更で、連日宣伝カーが各地を回った。会場は国道7号沿いにある当時の「村上プラザ」(現イオン)であった。当日村上プラザの広場には人波であふれ、交通整理のために地元の警察が大勢借り出された。危険防止のためロープが張られ、関係者たちがどんなに声を揚げても交通整理にあたるものの、次から次へと押し寄せるお客にお手上げ状態だった。もちろん、幸子の家族も総出、小・中学校時代の同級生も校長先生も恩師も集まった。幸子はそんな応援の中で一生懸命にデビュー曲を歌った。

上京してから1年10か月で幸子はそうやって地元で晴れて初舞台に立った。

 

 

 

キャンペーンに次ぐまたキャンペーン、茨の道程

 演歌の売れない時代、地元からしっかり固めるというのが幸子がデビューしたときの会社の方針だった。そして会社の幸子にかける期待は大きく、次々と曲を作ってくれた。そのほとんどは、いわゆる「ご当地ソング」だった。

 幸子は会社の指示に従って連日キャンペーンで県内のラジオ局やレコード店を回り、夜にはスナックなどを歩き回った。

 お金のない幸子は、めっきり減ってしまったアルバイトの収入を少しでもを補うために浴衣の仕立てに力を入れた。が、その収入は一日たった1,500円程度だった。

 ステージ衣装は赤と白の二着だけ(ギャラリーとムービーで確認できる)だった。

 何せ、デビューしたばかりの新人歌手に、贅沢は言っていられなかった。呼んでくれるところあらば、幸子はどこにでも跳んで行った。 この時代に幸子の大きな力になってくれた人と言えば、やはり「吉原吉蔵」さんを置いては語れまい。                                  

 

1979年(昭和54)2月14日                                                                          

                   

▼ お文カラオケ大会ゲスト出演(加茂シネマにて)
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▼ 地元キャンペーン
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1979年(昭和54)4月28日原宿カラオケ大会にゲスト出演                                                                           

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日を夜に次いでキャンペーンまたキャンペーンの行脚に余念のない幸子、しかし曲はまったくと言っていいほど鳴かず飛ばずだった。それでも幸子はやるしかなかった。      

 

1979年(昭和54)4月29日

19790429長崎屋キャンペーン0007                        

三条市の長崎屋、催し場にてキャンペーンとサイン会開催

村松市の村松公園にてキャンペーン

加茂山にてキャンペーン              

            

 

1979年(昭和54)5月27日

第46回日本ダビ―の新人歌手まつりに出演

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1979年(昭和54)7月14日酒屋町の歌謡大売出しに出演                                                                       

新潟市の酒屋町で行われた「歌謡大売出し」に、幸子は春日八郎さんの前座歌手として出演、2曲を歌った。

この際の主催者の一人が後程の後援会長斉藤康男さんであった。

よく気が利き、気取らない幸子に惚れ込んだ斉藤さんはその後後援会を作り、幸子の後援に尽力することになる。                              

 

1979年(昭和54)7月25日越後自慢リリース                                                                         

ビュー曲の売行きがあまり芳しくなく、半年後に第2作目を発表することになった。

            

 

1979年(昭和54)7月29日新曲発表会とサイン会、ファンクラブ結成式                                                                         

 7月29日と30日の二日間地元での新曲発表会(レストラン鴨川)とキャンペーンを行った。この日は記念すべき初のファンクラブが結成された。

これがベースとなり、後程斉藤康男後援会長の引っ張る後援会へと発展していくことになる。

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1979年(昭和54)8月24日斉藤康男後援会長と再度の出会い                                                                    

 デビューしてちょうど8か月目を迎えた幸子はこの日願ってもない大きな幸運を掴むことになった。

斉藤社長はこの年、春日八郎の公演を主催することになった。公演の当日はとても暑かった。春日八郎さんを始め公演団のメンバーが到着したものの、楽屋のような気の利いた施設があるわけがない。斉藤さんは自分の会社の2階を楽屋の代わりに使わせた。みんなが暑さと疲れに負けてぐったりとしていた。そのとき、お茶を入れたり、扇風機を回したりしながらてきぱきと動く一人の女の子がいた。もちろん斉藤さんはその女性が歌手の一人だとは知らず、ただの付き人だとばかり思っていた。あとで幸子のことを知った斉藤さんは溜息をついた。「とにかくよく気の利く子」というイメージが脳裏に深く各印された。後日、斉藤さんは幸子を自宅に招待し奥さんと記念撮影をした。それが斉藤さんの宝物となり、今でも自宅の居間に大きくかかっている。この日が後程の村上幸子新潟後援会の胎動の日となったのは言うまでもない。

 

1980年(昭和55)3月30日後援会総会                                                                      

 

 

1980年(昭和55)5月22日 イタリヤ軒にてじょんがら恋唄新曲発表会                                                                     

 5月25日の発売に先行して新潟市の「ホテルイタリヤ軒」にて「じょんがら恋唄」の発表会を行った。

B面は「あなたの東京」。これによって幸子は活動の中心を地元から中央に移すことになった。

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1980年(昭和55)5月25日 第3作目「じょんがら恋唄」リリース                                                                     

 

 

1980年9月21日一日警察                                                                          

img591  新潟市内にて                      

 

 

1981年(昭和56)5月8日 村上幸子を囲む会

 居酒屋司にて

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 1981年(昭和56)6月25日 第4作目「恋のわかれ唄」リリース                                                                    

 

 

1981年(昭和56)7月1日 恋のわかれ唄新曲発表会とファンの夕べ                                                                  

  VIP玉姫殿にて 

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1981年(昭和56)8月8日 越後中里納涼列車                                                                  

  

 

1981年10月25日 「村上幸子ヒット曲集」発売                                                

                                                                                                     

 

1981年12月25日 「村上幸子ヒット曲集」発売 (カセットテープ)                                               

                                                                                                     

 

1982年(昭和57)4月10日 「大大阪音頭」リリース                                                                     

 

 

1982年(昭和57)7月25日 第5作目「盛り場かもめ」リリース                                                                   

  加茂文化会館にて新曲発表会  

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1982年(昭和57)8月25日 「演歌の郷愁」リリース                                                                   

 
演歌の郷愁

 

1982年(昭和57)10月25日 「こころうるおい夢本線」リリース                                                                  

 
こころうるおい

 

1982年10月27日 「シングルカセット「盛り場かもめの/じょんがら恋唄」発売                                               

                                                                                                     

 

1982年(昭和57)11月2日 「村上幸子ふるさと新潟に歌う」                                                              

 新潟県民会館にて村上幸子ショー「村上幸子ふるさと新潟に歌う」

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1982年(昭和57)11月14日                                                              

 同じレコード会社所属の鳥羽一郎と真咲よう子とともにレコード販売店を中心に都内で新曲盛り場かもめのキャンペーンを行った。

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1982年(昭和57)11月23~24日 年忘れお座敷列車氷見の旅                                                              

 村上幸子新潟後援会はこの年忘年会を兼ねて「年忘れお座敷列車」を企画した。

 当時幸子が国鉄のイメージガールを務めていたこともあり、国鉄の中に幸子のファンが多いことも幸いしてことは順調に運んだ。

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1982年(昭和57)12月28日                                                               

  斉藤後援会長宅にて忘年会

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  1983年(昭和58)1月10日                                                          

 NS新春演歌まつり 新宿NSビルにて

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   1983年(昭和58)3月23日 斉藤会長宅にて親睦会                                                             

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1983年(昭和58)4月11日 和泉ビル竣工及び創立10周年記念ショー                                                              

  

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 1983年(昭和58)4月25日                                                               

 諏訪神社(新発田市)祭礼キャンペーン

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 1983年(昭和58)6月5日 BSN 清流杯カラオケ大会ゲスト出演                                                              

  

 

 

1983年7月16日 「やがて港は朝」で第4回古賀政男記念音楽大賞入賞                                                        

        

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  1983年8月20日 「やがて港は朝」シングル発売                                                            

                                                                                                           

 

 1983年8月21日~22日 第一回村上幸子とお座敷列車の旅                                                              

  男鹿半島

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1983年12月10日 「村上幸子演歌ヒット12」発売 (カセットテープ)                                               

                                                                                                     

 

 1984年(昭和59)1月4日 スタジオ開き                                                           

    

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  1984年(昭和59)1月20日 岩室物語リリース                                                             

                                                                                                           

 

 1984年(昭和59)2月20日 雨の駅裏リリース                                                             

                                                                                                           

 

1984年(昭和59)4月1日新潟後援会総会                                                        

                                                                  

 

 1984年(昭和59)4月20日 酒場すずめリリース                                                             

                                                                                                           

 

1984年6月9日 「酒場すずめ」で第5回古賀政男記念音楽大賞入賞                                                        

  

sachiko0460                                                                                                         

 

1984年6月10日 クラウンレコードの会長の祝賀                                                        

クラウンレコードの進藤会長は幸子を社長室に招いて第4回古賀政男記念大賞の受賞を労った。     

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1984年(昭和59)6月16日 「第4回酒屋町支部村上幸子を育てる会                                                        

  

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1984年(昭和59)6月24日 中越地区後援会発会式                                                        

  

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1984年8月20日 「村上幸子ベスト12」発売 (カセットテープ)                                               

                                                                                                     

 

1984年(昭和59)8月31日 コメリSC店訪問及びキャンペーン                                                       

  

sachiko0571                                                                                                        

 

1984年9月10日 「鳥羽一郎/村上幸子ベスト12」発売(カセットテープ)                                               

                                                                                                     

 

1984年(昭和59)10月20日 「酒場すずめ」LP盤 発売                                                       

                                                                                                     

 

1984年(昭和59)11月11日 ~12日 第2回村上幸子とお座敷列車の旅 和倉温泉

     

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1984年(昭和59)11月15日 札幌テレビ「ハイ大沢です」出演

 

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1985年3月10日カセットテープ鳥羽一郎/村上幸子演歌の競演発売

 

                                                                                                

 

1985年4月14日イシカワ楽器キャンペーン

 

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 1985年(昭和60)4月21日 「女の旅路」リリース                                                      

                                                                                                     

 

1985年5月21日 カセットテープ村上幸子ベスト12発売                                                    

  

                                                                                               

 

1985年(昭和60)6月21日 「村上幸子音頭を唄う」リリース                                                     

                                                                                                     

 

1985年7月21日 LP「女の旅路/酒場すずめ 村上幸子ベスト12」発売                                                    

  

 LPベスト12                                                                                                  

 

1985年(昭和60)9月21日 「みちのくしぐれ」リリース                                                     

                                                                                                     

 

1985年(昭和60)10月5日 「それなりに青い鳥」リリース                                                    

  

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1985年(昭和60)12月29日                                                    

新潟NT21スタジオ出演(照光まことの土曜スタジオ)                                  

 

1985年(昭和60)12月31日       

走れ歌謡曲出演

宮崎へ移動

 

1986年(昭和61)1月1日      

宮崎放送出演

                                                                                                

 

 1986年(昭和61)1月2日~4日      

帰省 お正月休み

                                                                                                

 

1986年(昭和61)4月5日 「恋小舟」リリース                                                    

                                                                                                     

 

1986年4月10日 走れ歌謡曲パーソナリティー初放送

 この日から3年間の走れ歌謡曲の木曜日担当パーソナリティーとしての仕事が始まった。

4月11日休み

 

1986年4月12日 弥彦文化体育館にて村上幸子ショー やっちゃんの店訪問

 弥彦市の弥彦文化体育館にて新潟放送が企画した村上幸子ショーに出演、その帰り道に後援会のメンバーの一人である長谷川康さんが経営している居酒屋やっちゃんの店に立ち寄り、ファンとの交流を深めた。幸子が走れ歌謡曲の仕事を始めた翌々日のことだけに、その話題でもちきりとなった。

 

 1986年(昭和61)8月21日 「螢火情話」リリース                                                

                                                                                                     

 

1986年(昭和61)9月21日 「デュオ雨上がり」リリース                                                

                                                                                                     

 

1986年10月14日 「NHK日本作詞大賞」

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 ▲NHKの楽屋でご両親と一緒に

  「螢火情話」で「NHK日本作詞大賞」受賞、この日はご両親をはじめ地元から8人が応援に駆けつけてくれた。

 

1987年(昭和62)4月21日 「おまえと生きる」リリース                                                

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おまえと生きるジャケット写真原本                                                                                             

 

  1987年5月4日 一日駅長                                                            

 ▼新潟駅にて

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1987年(昭和62)9月21日 「村上幸子ベスト16」発売                                                

         村上幸子 ベスト16                                                                                            

 

1987年(昭和62)12月21日 「村上幸子ベスト20」発売                                                

                                                                                                     

 

1988年2月21日 「不如帰」発売                                                

                 

不如帰                                                                                    

 

  1988年3月26日 不如帰プロモーションビデオのロケ撮影                                                             

 ▼神奈川県逗子市浪子不動にて

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1988年9月23日 高輪警察一日署長                                                

 ▼ 品川駅前にて             

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1989年5月28日 「放浪記」プロモーションビデオの撮影

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  ▲林芙美子のお墓にて

 

1989年9月3日 NHKラジオサンデージョッキー公開録音生放送

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  ▲NHKラジオスタジオ