10月21日は幸子さんの誕生日でした。それを記念して第11回の東幸会が都内で開かれました。今回は幸子さんの東京暮らしの跡を探ろうという企画です。これは歌手としてではなくかなりプライベートな性格が強くて、幸子さんからも「恥ずかしいから、もうやめて」と言われそうなイベントでした。
各場所の特定には元東京後援会の河村様にご協力をいただきました。ありがとうございます。
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▼ 当初の計画していたコースです。クリックすれば、拡大されます。 |
① 出発地JR田町駅 ② 三田自動車教習所 ③ 田町マンション(3番目の住い)
④ 新井利昌先生のレッスン室 ⑤麻布十番駅 ⑥ 三田綱町ハイツ(2番目の住い) ⑦ 最初に住んだアパート ⑧ スーパーフェニックス ⑨ 東京タワー ⑩ 浜松町駅 |
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▼ このイベントのために京都や長野等の遠方からもお越しいただきました。それ程皆さんが期待をしていたことですし、何もなければ、本当に楽しくて快適な聖地巡礼になるはずでした。しかし……
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▲ 超大型台風21号です。幸子さんのお誕生日の日の天気図です。東京は一週間の間ずっと雨でしたが、今日は台風の接近に伴い、一段と強くなっています。 |
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▼ 今日の出発地JR田町駅です。幸子さんの東京暮らしで最も利用頻度が高かった駅といえば、間違いなくこの田町駅っだったでしょう。田町駅は今も変わることなく昔の姿を保っています。 |
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▼ 何のことはありません。国道15号(第一京浜)を下り方向でゆっくりと歩くだけです。傘を差しても体がじわじわと濡れてきます。 |
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▼ あっという間に着きました。三田自動車教習所の跡地です。もはや昔の面影は欠片もありません。今では33階の高層ビルに建て替えられています。
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▼ これだけではあまりにも寂しいので、昔の写真で当時の姿を振り替えてみましょう。 |
(写真提供:河村様) |
幸子さんは抜群の運動神経で一度もテストに滑ることなく最短で運転免許を取りました。検定に合格したのが1987年12月11日、同月24日に免許が交付されました。当日は木曜日だったので、走れ歌謡曲のパーソナリティーの仕事、と浅草の松屋でショーがあり、それが終わってようやく免許証をもらえました。 |
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▼ さらに国道15号を下ります。ゆーきちさんです。
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▼ 高輪郵便局が見えたら、道路を横断。郵便局の裏側に回ると、ありました、昔のままの姿で田町マンションが雨に濡れています。ここが幸子さんの三番目のお住まいです。 クラウン芸能からホリプロに移籍するときに幸子さんが心機一転の意味で引越を決めました。しかしお金がなくてホリプロから50万円の借金をしてようやくこのマンションに引っ越すことが出来ました。1985年10月のことです。 |
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▼ あまりにも強い雨で狼狽の色を隠せない風さんです。その後ろに見える赤いレインコートが例の晴れ女です。
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▼ それでも雨の進軍は続きます。次の目的地は魚籃坂下にある新井先生のレッスン室です。国道15号と並行している国道1号に向かうためにはこのきつい坂道を登らなければなりません。 |
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▼ 階段を登り切ると、公園の道です。
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▼ その名も幽霊坂です。このままだと私達が幽霊になりそうです。 |
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▼ 新井利昌先生のレッスン室です。レッスン室は一階で三階が先生のご自宅です。森昌子、瀬川瑛子、島津亜矢、石川さゆり……、数えきれないスター達がここで先生のレッスンを受けました。 |
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▼ 下積み時代の幸子さんも毎日30分間をこの小さい部屋で練習をしました。デビューしてからも毎週1~2回はここを訪れました。
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▼ 国道1号を下りの方向にしばらく進むと麻布通りと分岐となるので、そこを右折です。雨がひどいので、霧がかかっているように霞んでいます。 |
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▼ この道を10分ほど進むと麻布十番駅に着きます。幸子さんがよく使っていた駅なので、行ってみたかったですが、今回は省略することにしました。 |
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▼ 道路の右側には首都高2号線(目黒線)が走っており、その下には川が流れています。ここをくぐります。 |
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▼ この橋を渡って高速道路の下を抜けると、右側に古いマンションが見えます。 |
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▼ ここがマンションの入口です。さすがにデビューしてからもお風呂なしで共同トイレのぼろいアパートに住み続けるには無理があったでしょう。デビューした2か月後にこのマンションに引っ越してきました。ここでは1979年3月から田町マンションに引っ越しをする1985年10月まで住みました。
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▼ エレベーターも昔のままです。
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▼ 幸子さんもこのエレベーターに毎日乗ったはずです。 |
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▼ うす暗い廊下です。 |
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▼ この部屋が幸子さんの住んだ部屋です。1Kの小さな部屋です。お風呂とトイレがついているだけで広さは前の住いとあまり変わりません。 |
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▼ ベランダとその横の小さい窓は含まれず、その隣の窓だけが幸子さんの部屋です。酒場すずめがヒットしてからもこんな狭い部屋に住み続けていました。 |
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▼ この部分です。 |
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▼ 今度は最初に住んだアパートに向かいます。橋は渡らずに、そのまま戻りの方向に向かいます。しばらく歩くと、慶応義塾大学が見え、また国道1号にぶつかります。 |
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▼ 着きました。国道を渡ってすぐのところです。上京をした1977年3月から1979年の3月まで住んだアパートです。当時の家賃は18,000円でした。 |
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▼ 私が皆さんに説明をしている場面です。 |
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▼ 中を覗くとこんな感じです。幸子さんも毎日この木造の階段を上っていたはずです。 |
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▼ 下駄箱です。 |
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▼ 国道に戻り、登り方向に向かうと、すぐ左折することになり、そこに幸子さんがアルバイトをしたスーパーフェニックスがあります。残念ながら、8月で閉店となりました。 |
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▼ このままでは寂しいので、別の日に撮った写真です。この店で幸子さんはデビューするまで時給400円で毎日12時間のアルバイトをし続けました。デビューしてからも収入があまりなかったので、しばらくやり続けましたが、どうしても安定的に仕事が出来なくなり、辞めさせられました。 |
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▼ スーパーから見える東京タワーです。幸子さんも毎日眺めていたはずです。田舎から家族が来るとよく案内したところです。ここにはぜひ皆さんと一緒に上ってみたかったのですが、雨のせいで中止となりました。 |
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聖地巡礼はここまでとし、これからはカラオケ会となります。全員タクシーで浜松町駅の近くのカラオケ屋さんに向かいます。 |
▼ まあ、こんな感じです。一番奥が京都からのくまきちさん、その右の白い方が長野からのまさまささんです。 |
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▼ あとはいつものように飲みながら、歌いながら、しゃべりながらの時間です。もちろん幸子さんの歌が中心となります。 |
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▼ 楽しい時間もそろそろです。〆として不如帰の斉唱です。 |
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▼ 最後にはおまえと生きるではなく幸子と生きるの斉唱です。 |
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▼ 俺は幸子と幸子~と生きる~♬♪♩ |
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▼ あとはいつもの飲み会です。奥の方からくまきちさん、まさまささん、ゆーきちさん、晴れ女、相模美さんです。 |
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▼ 半点さんアリヨンさん、風さんです。 |
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台風21号がやって来るという怖いニュースで宴会もそこそこにお別れを告げることになりました。まさまささんは高速バスでくまきちさんは新幹線で急いで帰るということです。大変な一日でしたが、それでも廻り切れたので、本当によかったです。以上で見ていただいたように、幸子さんの人生は決して華やかでも楽でもなく、苦労に苦労を重ねたものというのがわかります。そういう意味で今日のお天気はこのイベントに相応しかったのかも知れません。
くまきちさんには豊橋で新幹線が停電で停車、もう一泊の車中泊がプレゼントとして与えられました。皆さんお疲れ様でした。
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